2012年7月 アメリカ(アーヴァイン)
ジャック・デリダ・アーカイヴ
ジャック・デリダ・アーカイヴ
ジャック・デリダに関する厖大かつ貴重なアーカイヴは、カリフォルニア大学アーヴァイン校(UCI)のLangson図書館5階、Special Collections and Archives (Annis Reading Room, 525) に収蔵され公開されている。資料は、①学生時代の資料(1946-60年)、②セミネール原稿(1959-1995年)、③公刊物と講演活動(1960-98年)、④音声映像記録(1985-1999年)に大別されて、115もの箱で管理されている。デリダの残りの資料群はフランスのノルマンディー地方にあるIMECに所蔵されている。フランス側には90年代以降のセミネール原稿や膨大な数の書簡が所蔵され公開されている。
資料室の開室時間は原則的に平日の11-17時。アーヴァイン校で資料を閲覧する場合、パスポートなどの身分証で使用登録をして、目録検索して必要な資料BOXを出してもらう。BOXは一箱ずつしか閲覧できず、荷物はロッカーに入れ、パソコンと鉛筆以外は携帯不可。原則的にコピーはできないので、転写したりメモをとったりすることになる。破損の恐れのある一部の原資料は保管されていて、その複写物が公開されている。便宜を図るために、司書によって頁数が右下に加筆されている場合もある。資料を論文で引用する際には保管権利者に許可を取らなければならない。
興奮気味に資料BOXを用意してもらい、念願のデリダの生原稿を目にしたときに誰もが実感するのだが、彼が書いた文字はフランス人にさえ判読がきわめて困難である。よって、初期の手書き原稿や書簡を読み解くには相当な技術的修練が必要となるだろう。70年代からはタイプ原稿が増えてくるが、こちらは容易に判読できる。
今回は短い時間での資料閲覧だったが、興味深い発見があった。とくに60年代、デリダは参照文献の引用文や頁数、アイデアなどを手の平サイズのメモ帳に書き留め、この紙片メモを利用して手書きで原稿を書いていた。例えば、『グラマトロジー』は181枚、「コギトと狂気の歴史」は86枚、「限定的エコノミーから一般エコノミーへ」は46枚の紙片が活用されている。また、『哲学への権利について』の序論は草稿が4回書き直され、ゲラでも加筆修正が加えられている。『友愛のポリティックス』のセミネール原稿は8回目および10-13回目だけは手書き原稿になっていた。
(国際会議Derrida Today開催にあわせた展示)
(1950年、シェイクスピアに関するレポート。20点中10点。)
(『シニェポンジュ』タイプ原稿)
(アーヴァイン校から車で15分ほど、ラグナ・ビーチでのデリダの住居〔839, Catalina Street, Laguna Beach, CA. 1987-1994および1998年に滞在〕)
収蔵資料の概要は以下の通りである。詳細は直接、デリダ・アーカイヴのウェブ・ページを参照されたい。
http://hydra.humanities.uci.edu/derrida/uci.html
Series 1 学生時代の資料(1946-60年)
アルジェリアの高校時代からフッサール研究時代に至るまで、青年デリダの小論文やレポートなど、すべて未公開資料である。
1-1.[ Box : Folder : 1 : 1 ]-[ Box : Folder : 1 : 28 ]
高校とグランゼコール進学準備学級Lycée, Hypokhâgne and Khâgne(1946-1952年)
アルジェリアのベン・アクヌーン高校からパリのルイ=ル=グラン高校でのグランゼコール進学準備学級までの哲学、文学、歴史、英語に関する小論文やレポートなど。
1-2.[ Box : Folder : 1 : 29 ]-[ Box : Folder : 2 : 24 ]
高等師範学校L'Ecole normale supérieure(1952-1956年)
哲学、心理学、文学に関する小論文やレポート。アルチュセール、ブランシュヴィック、ガンディヤックらへの提出物が含まれ、余白に教師のコメントも散見される。
1-3.[ Box : Folder : 2 : 25 ]-[ Box : Folder : 2 : 45-46 ]
フッサール研究Work on Husserl(1953-1957年)
1953-1954年のルーヴァン、1956-1957年のハーヴァード大学での研究。これらの未公開資料はデリダの初期著作のための重要な蓄積になっている。
1-4.[ Box : Folder : 3 : 1 ]-[ Box : Folder : 3 : 13 ]
学生時代のその他の資料Other student materials(1955-1960年)
Series 2 [ Box : Folder : 4 : 1-8 ]-[ Box : Folder : 21 : 10-13 ]
教育とセミネールTeaching and seminars(1959-1995年)
ル・マン高校からソルボンヌ大学、高等師範学校、アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学やイェール大学、コーネル大学、そして社会科学高等研究院(EHESS)やカリフォルニア大学アーヴァイン校(UCI)での教育活動に関する厖大かつ重要な資料群。冬学期は高等師範学校ないしはEHESS、秋学期にイェール大学やジョンズ・ホプキンズ大学、春学期にUCIが典型的なパターン。手書き原稿およびタイプ原稿に加えて、ノートや資料コピー類など。セミネール全回の原稿が著作として刊行されているのは、1977-78年の「時間を与える」(ENSとイェール大学)、1988-1989年の「友愛のポリティックス」(EHESS、UCI、ニューヨーク市立大学、コーネル大学で実施)のみである。他のセミネール原稿はその一部が既刊著作のなかに抜粋されているものの、その全容は未刊である。2008年に『獣と主権者』(2001-03年)がようやく出版されたが、これを皮切りに厖大なセミネール・シリーズ(約14000頁、全43巻)の刊行は始まったばかりである。
ジャック・デリダのセミネールのタイトル
(アーヴァイン校に資料が収蔵されている分のみ年度順に記載。séance(s)は回数を示す。同内容のセミネールが複数の場所で繰り返されているため、実施校は複数列挙されている。詳細は次のウェブ・ページを参照されたい。http://hydra.humanities.uci.edu/derrida/uci.html. http://derridaseminars.org/seminars.html.セミネールの様子を伝える日本語文献としては、浅利誠「デリダのセミネール 1984-2003」、『別冊 環⑬』藤原書店を参照されたい。)
年次不明の原稿(ル・マン高校ないしはソルボンヌ大学)
「マールブランンシュによる他者」"L'Autre selon Malebranche," 2 séances.(1961-1962)
「リクール読書メモ」"Diplômes Ricoeur," reading remarks on Ricoeur.
「マールブランシュによる自由の経験」"L'Experience de la liberté selon Malebranche," 1 séance.(1961-1962年?)
「ヒューム」"Hume."
「カント」"Kant"
「悪(マルブランシュ、ヘーゲル、プラトン)」"Le Mal," 3 séances on Malebranche, Hegel, and Plato.
「スピノザ」"Spinoza," various materials.
「ストア派」"Stoiciens," various materials.
1959-1960年(ル・マン高校)
「哲学講義」"Cours philosophie."
「歴史哲学」"La Philosophie de l'histoire."
「準備学級演習」"Exercices Hypokhâgne."
「自殺」"Le Suicide," notes and cards.
1960-1961年(ソルボンヌ大学)
"'Le Mal est dans le monde comme un esclave qui fait monter l'eau' -Claudel," 8 séances.
「現在(ハイデガー、アリストテレス、カント、ヘーゲル、ベルクソン)」"Le Présent (Heidegger, Aristotle, Kant, Hegel, Bergson)."〔おそらく1965-66年の分類間違い〕
「思考することは否を言うことに等しい」"Penser, c'est dire non," 4 séances.
「認識しえぬものの哲学的状況はいかなるものか?」"Quelle est la situation philosophique de l'inconnaissable?" 1 séance.
「他者の実存は証明されるか?」"L'Existence de l'autrui se prove-t-elle?" 3 séances.
「本質、実存」"Essence Existence." 2-3 séances.
「実体」"Le Substance," 9 séances.
「理性」"La Raison," 8-10 séances.
「感覚的なもの」"Le Sensible," 14-15 séances
1961-1962年(ソルボンヌ大学)
「ベルクソン――形而上学入門と無の観念」"Bergson. Introduction à la métaphysique and L'Idée du néant" and notes, several séances.
「フッサールと歴史主義の批判」"Husserl et la critique de l'historicisme," 1 séance.
「現象とは何か?」"Qu'est-ce qu'un phénomène?"
「死とは魂と身体の結合であり、意識、覚醒、苦痛は両者の非結合である――ヴァレリー『テルケル』」"'La mort est l'union de l'âme et du corps dont la conscience, l'eveil et la souffrance sont desunion' - P. Valéry, Tel Quel, II, XLI," 2 séances.
「仮象とは何か?」"Qu'est-ce que l'apparence?" 6-8 séances.
「ハイデガーにおける世界」"Le Monde chez H[eidegger]," 5 séances.
「私、我、人格」"Je Moi Personne."
「因果性」「帰納」"La Causalité" and "L'Induction," 5 séances.
「直観」"L'Intuition," several séances.
「マルブランシュによる観念」"L'Idée selon Malebranche," 1 séance.
「理念」"L'Idée," 6 séances.
「超越論的なものの意味」"Le Sense du Transcedental," 17 séances
1962-1963年(ソルボンヌ大学、ENS)
「デカルトによる誤謬」「プラトンによる誤謬」"L'Erreur selon Descartes" and "L'Erreur selon Platon," 2 séances.
「観念論の反駁」"La Refutation de l'idéalisme," séances and notes.
「自然―文化の問題の系譜」"Genéologie du problème Nature-Culture," 2 séances.
「神に関する講義」"Cours sur Dieu (Lagneau, Descartes, Leibniz, Kant, St. Anselme)," 7 séances.
「フッサール『デカルト的省察』の第五省察」"La cinquième des Méditations Cartesienne de Husserl," 5 séances
「方法と形而上学」"Méthode et métaphysique," 11 séances
「現象学、目的論、神学――フッサールの神」"Phénomenologie, tèlèologie, thèologie: le Dieu de Husserl," 4 séances
「有限性を肯定することができるか?」"Peut-on dire oui à la finitude?" 6 séances
「規範と事実――法の観念は本質的に法的なものか?」"Norme et fait: la notion de loi est-elle essentiellement juridique?" 2 séances
1963-1964年(ソルボンヌ大学、ENS)
「ベルクソン――形而上学入門と無の観念」"Bergson. Introduction à la métaphysique and L'Idée du néant" and notes, several séances.
"'Le Mal est dans le monde comme un esclave qui fait monter l'eau' -Claudel," 8 séances.
「反駁の起源。サルトル」"L'Origine de la réfutation. Sartre," 1 séance.
「他性と他者」"L'Altérité et l'autre," 4 séances.
「誤謬と彷徨――ハイデガー」"Erreur et errance: Heidegger," 1 séance.
「アイロニー、疑念、問い」"L'Ironie, le Doute, et la Question," 15 séances
「現象学と経験論」"Phénomenologie et Empirisme," 6 séances
「歴史と真理」"Histoire et vérité," 6 séances
「見えるものと見えないもの」"Le Visible et l'invisible," 1 séance
「存在論と神学」"Ontologie et théologie," 1 séance
1964-1965年(ENS)
「ハイデガー、〈存在〉の問い、歴史」"Heidegger et la question de l'Etre et l'histoire," 9 séances
「『論理学研究』や『イデーンI』における意義作用の理論」"La théorie de la signification dans Les Recherches logiques et dans Idéen I" and other titled séances.
1965-1966年(ENS)
「自然宗教や18世紀の宗教概念に関する対話」"Les dialogues sur la Religion naturelle et le concept de religion au 18ieme siècle," 6-7 séances.
「自然、文化、エクリチュール、あるいは文字の暴力――レヴィ=ストロースとルソー」「エクリチュールと文明」"Nature, Culture, Ecriture ou la violence de la lettre; de C. Levi Strauss à J. J. Rousseau" and "Ecriture et Civilization," numbering of 13 séances
1968-1969年(ジョンズ・ホプキンズ大学)
「文学と真理――ミメーシスの概念」"Littérature et vérité: Le concept de la mimesis," 9 séances.
「エクリチュールと劇場――マラルメ/アルトー」"L'Ecriture et le théâtre: Mallarmé/Artaud," 9 séances
1969-1970年(ENS)
「エクリチュールと現象」"L'Ecriture et le phénomène," 2 séances.
「哲学言説の理論――哲学テクストの隠喩」"Théorie du discours philosophique: la métaphore dans le texte philosophique," 10 séances
1970-1971年(ENS)
「哲学言説の理論」"Théorie du discours philosophique," 5 séances
1971年(ENS、ジョンズ・ホプキンズ大学)
「ロートレアモン」"Lautréamont," 8 séances
「テクストのなかの精神分析」"La Psychanalyse dans le texte," 11 séances.
1971-1972年(ENS、オックスフォード大学、ジョンズ・ホプキンズ大学など)
「ヘーゲルの家族」"La Famille de Hegel," 14 séances.
1972年-1973年(ENS、ジョンズ・ホプキンズ大学など)
「ジュネ。演劇」"Genet. Drama," brief notes.
「18世紀における哲学と修辞――コンディヤックとルソー」"Philosophie et rhétorique au XVIIIe siècle: Condillac et Rousseau," 8 séances.
「宗教と哲学」"Réligion et philosophie," 8 séances.
1973-1974年(ENS、ベルリン大学ほか)
「芸術(カント)」"L'Art (Kant)," 8 séances.
1974-1975年(ENS、ジョンズ・ホプキンズ大学など)
「GREPH(フランス・イデオローグにおけるイデオロギー概念)」"GREPH (le concept de l'idéologie chez les idéologues français)," 10 séances
「生死」"La Vie la mort," 14 séances.
1975-1976年(ENS、イェール大学)
「もの(ハイデガー/ポンジュ)」"La Chose (Heidegger/Ponge)," 3 séances
「理論と実践」"Théorie et pratique," 9 séances.
「グラムシに関するGREPHセミナー」"Séminaire au GREPH sur Gramsci."
1976-1977年(ENS、イェール大学)
「ベンヤミン」"Benjamin," 3 séances.
「もの(ハイデガー/ブランショ)」"La Chose (Heidegger/Blanchot)", 6 séances
「ブランショ『謎の男トマ』」"Blanchot - Thomas l'Obscur," 8 séances
1977-1978年(ENS、イェール大学ほか)
「もの(ハイデガーとハイデガーの「他者」)」「フロイトの遺贈」"La Chose (Heidegger and the 'other' of Heidegger)" or "Legs de Freud"
1977-1979年(ENSほか)
「与える――時間」"Donner - le temps," 5 séances.
1978-1979年(ENS、イェール大学ほか)
「文学への権利について」"Du droit à la littérature," 6 séances.
1979-1980年(ENS、イェール大学ほか)
「比較文学の概念、翻訳の理論的問題」 "Le Concept de littérature comparée et les problèmes théoriques de la traduction," 6 séances.
1980-1981年(ENS、イェール大学)
「尊敬」"Le Respect," 12 séances
「表象」"La Représentation," 8 séances.
1981-1982年(ENS、イェール大学ほか)
「言語と方法序説」"La langue et le discours de la méthode," 13 séances.
1982-1983年(ENS、イェール大学ほか)
「大学の理性」"La Raison universitaire," 13 séances.
1983-1984年(ENS、EHESS、イェール大学、コーネル大学)
「哲学への権利について」"Du droit à la philosophie," 4 séances.
「メモワール――ポール・ド・マンのための三つの読解」"Mémoires: Trois lectures pour Paul de Man."
1984-1985年(EHESS、イェール大学)
「他者の幽霊――ナショナリティと哲学的ナショナリズム」"Le Fantôme de l'autre: Nationalité et nationalisme philosophique,", 13 séances.
1985-1986年(EHESS、コーネル大学、イェール大学ほか)
「比較文学と比較哲学――ナショナリティと哲学的ナショナリズム:ミュトス、ロゴス、トポス」"Littérature et philosophie comparées: Nationalité et nationalisme philosophique: Mythos, logos, topos,"
1986-1987年(EHESS、ニューヨーク市立大学、コーネル大学ほか)
「神学政治的なもの――ナショナリティと哲学的ナショナリズム」"Théologic - Politique: Nationalité et nationalisme philosophique," 9 séances
1987-1988年(EHESS、UCI、ニューヨーク市立大学、コーネル大学ほか)
「カント、ユダヤ人、ドイツ人――ナショナリティと哲学的ナショナリズム」"Kant, le Juif, l'Allemand: Nationalité et nationalisme philosophiques," 8 séances
1988-1989年(EHESS、UCI、ニューヨーク市立大学ほか)
「友愛のポリティックス」"Politiques de l'amitié," 11 séances
1989-1990年(EHESS、UCI、コーネル大学ほか)
「他者を食べる――友愛のポリティックス」"Manger l'autre: Politiques de l'amitié," 12 séances
1990-1991年(EHESS、UCIほか)
「他者を食べる――友愛のポリティックス」"Manger l'autre: Politiques de l'amitié," 5 séances.
「カリバニズムの修辞学――友愛のポリティックス」"Rhétorique du cannibalisme: Politiques de l'amitié," 8 séances.
「時間を与える」"Donner le temps," 5 séances.
1991-1992年(EHESS、UCI、ニューヨーク市立大学ほか)
「資本と首都――ボードレールの事例」"Le Capital et la capitale: l'exemple de Baudelaire," 4 séances.
「秘密に応答責任を負う」"Répondre du sécret," 12 séances
1994-1995年(EHESS、UCI、ニューヨーク大学)
「秘密、証言――責任の問い」"Sécret témoignage - questions de responsabilité," 9 séances,
Series 3 [ Box : Folder : 22 : 1-6 ]- [ Box : Folder : 93 : 8 ]
公刊物と講演活動Publication and conference activities(1960-98年)
公刊されたデリダの著作、論考、インタヴュー、講演、国際会議、展示に関する厖大な資料群。「哲学的研究教育グループ(GREPH)」の活動資料も含まれている。膨大な量の草稿、ノート、紙片メモ、コピー資料、ゲラなどから作品生成の過程を窺い知ることができる。
Series 4.
音声映像記録Audio and video recordings(1985-1999年)
セミネールや講演の録音記録、デリダ関連の映画やテレビ資料。
4-1. [ Box : Item : 105 : MS-C01-A001 ]-[ Box : Item : 111 : MS-C01-A125 ]
音声資料Audio cassettes(1985-1998年)
パリのEHESSでのセミネールを録音した230本のカセット資料。浅利誠氏が録音してデリダに寄贈した資料。セミネールは一般公開セミナーと少人数の院生や学生に限られた限定セミナーの二種類実施されていたが、その両方が含まれている。
4.2 [ Box : Item : 114 : MS-C01-V001 ]-[ Box : Item : 115 : MS-C01-V021U ]
映像資料Video cassettes(1987-1999年)
英語、フランス語、日本語、ドイツ語、ロシア語、ハンガリー語、ギリシア語圏などで放映された映像資料。
国際会議Derrida Today@カリフォルニア大学アーヴァイン校
国際会議Derrida Today@カリフォルニア大学アーヴァイン校
2012年7月11-13日、カリフォルニア大学アーヴァイン校(UCI)にて国際会議Derrida Todayが開催された。Derrida Todayはデリダの没後、英米圏の研究者を中心に開始された会議で、シドニー、ロンドンと2年おきに開催されて今回で3回目である。ロサンゼルス郊外にあるアーヴァイン校は晩年にデリダが教鞭をとっていた大学で、膨大な資料群を収蔵・公開しているデリダ・アーカイヴがある。プログラムは→こちらからダウンロード
基調講演としては、近年「文学と気候変動」プロジェクトなどで注目されているTom Cohen氏が予定されていたが、直前に来られなくなってしまった。その他の基調講演としては、Penelope Deutscher ‘Sexual Immunities’では、メアリ・ウルストンクラフトの「女性の権利」の丁寧な読解が『獣と主権者』における女性の位置づけと関連づけられた。David Wills 'Machinery of Death or Machinic Life'では、死刑に関するデリダのセミネール(1999-2000年)に基づいて生/死の技術機械性が論じられた。
(Penelope Deutscherの講演は『獣と主権者』の一節「私が狼と口にするとき、雌狼のことを忘れないでください」から始まった。)
主催者による企画セッションとしては次の企画が組まれた。「デリダとナンシーにおけるエクリチュールと時間」では、両者の脱構築の共通性と相違を考察。「襞のマラルメ」は『骰子一擲』をめぐる討議。「残余するもの――師と自権性」ではデリダのシャルル・マラムー論を議論。「自己免疫性の諸相――デリダと生体医学」では、デリダが免疫概念をいかに自権性、主権、死の欲動と連関させているのかが討議された。
(休憩スペース)
公募企画パネルとしては次の企画が組まれた。「デリダ、フロイト、そして『かのように』の論理」では、カントの「かのように」と現象学の「そのもの」の関係を基点として、デリダにおけるメシア的な「かのように」と否定神学的な「そのもの」の二律背反から信の所在が考察された。「デリダと批判的動物研究」では、デリダの晩年の著作『動物故に我あり』と『獣と主権者』が提起する倫理的・政治的な論争を踏まえて、言語、主体性、世界、現前といった人間の固有性を脱構築することで人間と動物の境界が問い直された。「デリダとバデュウ」では、デリダの没後、英語圏でのバデュウの翻訳紹介が進展してきた状況を踏まえて、両者の方法上の連続性と思想的な相違を分析。とりわけ、バデュウによる出来事の数学的形式主義的な考察において、デリダ的な「決定不可能性」がいかに位置づけられているのかが要である。「文学の営み――対話するデリダ」では、エドモン・ジャベス、トーマス・マン、Dan Pagisといった文学者のテクストを、それぞれ彷徨、毒=薬、正義といったデリダ的着想で読解する試み。
公募パネルは5つの会場で並行して実施され、1パネル(90分)が2-3名の発表(質疑応答含めて各30分)で構成された。パネルのテーマを順に列挙すると、「形而上学・哲学と脱構築」(4回)、「政治と政策」(3回)、「エコ・クリティシズムと動物性」(2回)、「美学――映画、芸術、音楽」(2回)、そして、「エクリチュールと文学」「言語と翻訳」「エクリチュール、文学、言語」「法、正義、倫理」「精神分析」が各1回ずつである。今回目立つ主題は「芸術」と「動物」。「文学」系セッションはさほど多くはない。『獣と主権者』の英訳が出版され、近年の動物に関する研究や法整備とともにデリダにも注目が集まっている。また、昨今の政治を反映する発表もあり、アラブの春やNY占拠の来たるべき民主主義、メキシコ―アメリカ国境の歓待などが論じられた。
宮﨑裕助氏(新潟大学)の発表「民主主義の自己免疫における情動的生――デリダの『生政治的』思考に向けて」。晩年のデリダの政治思想とアガンベンの生政治やランシエールのデモス概念との差異が明確にされ、民主主義が自己破壊の恐れを含む自己脱構築的な過程であり、新たな「生政治」の発見をともなう「別の仕方による生の思考」であることが提起された。
亀井大輔氏(立命館大学)の発表「目的論における終末論の裂け目――デリダにおける歴史の思考」。デリダは目的=終焉に向かう歴史の閉域を初期から批判していたが、それはたんなる歴史の無化ではなく、終末論によって目的論を中断させることで、出来事の到来が可能となる「別の歴史性の思考」を切り開くためだった。
今回は300名の応募から選出された120名ほどの発表が披露された。ただそれにしては、発表のレベルは玉石混交で、デリダ哲学に関して浅薄な知識しかないのに、デリダの鍵語だけを安易に流用して自説を縷々開陳するだけの発表もあった。デリダ思想が多岐の主題に関連付けられ、多彩な発表が披露されるのは良いとしても、アメリカ西海岸の陽気さのせいだろうか、どこかお祭り的な雰囲気が漂っていた。デリダ研究の水準を刷新するためには、文献学的研鑽や先行研究の蓄積を踏まえた緊張感ある討議が必要だが、そうした姿勢があまりみられなかったのは意外で残念だった。
英米系が中心のためだろうか、フランスからの参加は一名のみで、しかも彼女はナボコフ研究者である。フランスではデリダ研究はそもそも低調だが、英米圏とフランス圏の研究交流の溝を実感した。ただいずれにせよ、世界各国からのデリダ研究者と交流できることは貴重な機会である。インドや台湾、シンガポール、メキシコ、ポーランドなどのデリダ研究者と交流するは初めてだった。今回は3回目ということもあり、すでに参加経験のある者同士は顔見知りになっている。資料公開や研究交流など、デリダ研究はまだまだ生成途上ではあるが、今後も継続される国際会議Derrida Todayは研究進展のための礎になるだろう。
(アメリカ西海岸らしく、最後の夜はホテルのプールサイドで懇親会)
今回の滞在では、すでにUCIで草稿研究をされたことのある亀井大輔氏にお世話になった。デリダ・アーカイヴの報告文でも細かな指摘をしていただいた。深く感謝する次第である。
「第3回デリダ・トゥデイに参加して」宮﨑裕助(新潟大学)
二年ごとに開かれる国際学会デリダ・トゥデイへの参加は、前回のロンドン大会に引き続き今回で二回目。今回は、デリダが80年代半ば以降毎年集中講義をしに訪れていたカリフォルニア大学アーヴァイン校での開催だった。実のところ初めての渡米だったが、最初の訪問地が、乾いた日差しと時折吹き抜ける涼風とが妙に心地よいこのカリフォルニアの地であったことを幸運に思う。
この学会は、ふだんは論文上を通してしかお目にかかれない研究者たちとじかに話をしたり新たに知り合いができたりする点で、自分にとっては稀有の得がたい場なのだが、今回なによりもアーヴァイン校の擁するデリダ・アーカイヴを訪問して、生(なま)のデリダのテクストに接することができたことは、このうえなく貴重な経験だった。草稿そのものをフェティッシュの対象とする趣味は私にはないけれども、長年つきあってきた著者の手稿や講演のタイプ原稿に何度も校正が施されヴァージョンアップがなされてゆく過程につぶさに立ち会えることに感動を覚えぬ者はいないだろう。未刊行の膨大な草稿群に接し、デリダのエクリチュールの底知れぬ怪物性をあらためて確信することができたとともに、その筆跡に秘められた獰猛さともいうべき運動性を垣間見て大きく心を揺さぶられた。
デリダ・トゥデイは開かれた場所だ。デリダ研究そのものを専門とするか否かを問わずデリダに関心のある多くの研究者たちが参加している。それはつねに「今日(Today)」という現在進行形のうちにある。発展途上ゆえの「緩さ」も感じられなくはないが、それだけに主催者が手ずから注いでいる熱意と献身は並々ならぬものがあり、日本のような遠い地からの参加者を気遣ってくれるアットホームな雰囲気を私はとても気に入っている。
デリダ没後十年となる次回の開催地はニューヨークを予定していると聞いた。日本でのデリダの知名度の高さにもかかわらず日本からの参加者はとても多いとはいえない。とくにデリダに関心がありこれから研究対象にしてみたいという若手の研究者(目安としては博士課程以降ぐらい)は思いきって参加してもらいたい。そのための支援についてできることがあれば、今回同行した西山さんら共々、先行者として惜しまないつもりでいるので、その折はぜひ気軽に声をかけてもらえればと思っている。
「Derrida Today in Irvine」亀井大輔(立命館大学)
アーヴァインを訪れるのは5回目。2008年以来何度かデリダの遺稿調査のために訪問し、昨年は念願かなって半年間をこちらで過ごすことができた。しかし今回の訪問は特別で、初めてアーカイブ目的ではなく学会参加のための来訪である。
カリフォルニア大学アーヴァイン校があるアーヴァイン市や、隣のコスタメサ市などを含めたオレンジ・カウンティの魅力は、何といっても明るい陽射しと気候の温暖さ、海や平野の広大さとそれがもたらす開放感、そこに暮らす人びとの多民族性だろう。とくにコスタメサとアーヴァインでは日本人コミュニティが充実している。最初にアーヴァインを訪れた目的はもちろんアーカイブの調査であり、当初は感激と興奮の中でデリダの遺稿を読み漁っていたが、次第にこの土地そのものに魅了されるようになった。そうでなければ、これほど繰り返し足を運ぶことはなかったかもしれないくらいだ。
こうした経緯もあって、アーヴァインで開かれる今回のDerrida Todayに参加できたのは非常に嬉しかった。学会では、発表内容の多様さが印象的だった。分野で言えば哲学、政治、文学、エコ批判、法・正義・倫理、精神分析等々のセッションが同時進行する。さらに同じ分野の中でも発表の内容やスタイルはさまざまである。自らの問題意識からデリダの読解に挑むのもあれば、デリダの思想を自らの関心に結び付けようとするものもあり、こうした多様性こそDerrida Todayという学会の大きな特徴だと実感した。ただ、デリダ研究は英語圏でこそ最も進んでおり、学ぶべき先行研究も多いのだが、そうしたすでに実績のあるデリダ研究者の姿は、なぜかたくさんは見られなかった。アメリカでの集まりとあって期待していたので、少々残念だ。
なお、この地域での移動には車が必要で、私はいつもレンタカーを利用する。実は、車の運転はこちらでの楽しみのひとつ。今回は滞在最終日に西山さん宮崎さんたちと、デリダの住居跡を探すべく右手に太平洋を見下ろしながらPacific Coast Highwayを南下して、ラグナビーチまでの短いドライブを満喫したあと、空港までFreeway405を北上して帰国の途に着いた。
(ラグナ・ビーチの図書館前のベンチ。「近所に住んでいたデリダもここに座ったんじゃないか」とみんなで談笑した。)