2011年11月 フランス(パリ)

国際会議「教育の哲学 哲学の教育」@パリ・ユネスコ

国際会議「教育の哲学 哲学の教育」@パリ・ユネスコ




(ユネスコ内には、ジャコメッティやピカソなど、寄贈された芸術作品がいたるところにある。)

(廊下での展示)

(ユネスコ内の日本庭園)

2011年11月18日、パリのユネスコにて国際会議「教育の哲学 哲学の教育――学校における機会の平等 いかなる平等? いかなる機会? 知識の共有を問う」が開催された。11月第三週の国際哲学デーの一環として、国際哲学コレージュとユネスコの共催で実施された。


(哲学者・思想家のパネル展示と名言の引用)


教育や文化の振興を通じた平和な世界の構築を目指して1946年に創設されたユネスコは、当初から哲学の役割を重視してきた。サン=ピエール司祭やカントの平和論への制度的応答とも言えるユネスコにとって、人間に関わる問いの哲学的考察は不可欠な要素とされる。1964年に哲学部が独立して設立され、その後改編されて、2000年以降は人文社会科学部門の一部として運営されている。ユネスコ哲学部の仕事は、哲学研究の発展のために国際的な機会を提供すること、国際的な教育活動のために哲学を活用することである。それゆえ、思弁的で形而上学的な思索ではなく、むしろ正義、法、人権、自由といった普遍的な概念の批判的考察が哲学部には期待される。2002年からは毎年11月の第3週が「哲学の日」と題され、連続イベントが開催されている。



(イスラム思想研究の大家ムハンマド・アルクーンに関する催事)

(哲学カフェ・イベント)

今年の「哲学の日」に際してユネスコ事務局長Irina Borka氏は二つの点を強調している。まず、「アラブの春」の熱狂を目の当たりにして、その当事者であれ、その傍観者であれ、私たちは歴史の意味、社会的正義、男女の平等、基本的な自由について考えざるをえない。また、東日本大震災と津波、フクシマの原発事故によって、私たちは自然における人間の立場を再考するべくうながされている。


(左から二番目がパスカル・セヴェラック)

今回の企画者パスカル・セヴェラック(国際哲学コレージュ副議長)の趣旨は次の通りだ。――学校において教育を受ける機会はたしかに平等だが、しかし、学校は成果や能力に応じて正当な不平等を生み出す場であり、学生はそうした不平等に耐えなければならない。近年、学校(とりわけ小中学校)において、社会のなかで(哲学カフェや市民大学)、哲学の新たな実践が展開されている。哲学を通じたこうした「学びの公共空間」の創出は、例えば、能力主義的な学校に困難を感じる若者のために民主的で平等な考え方をもたらし、「思考する市民」への道を開くのだろうか。

私は発表「哲学の無償性 知性の平等」をおこなった。教育にアクセスする機会は経済的条件に左右されることから、有償/無償のエコノミーと機会の平等の関係を問うた。哲学の起源にさかのぼれば、ソフィストは説得術の教育に対して報酬を求め、ソクラテスは無償で哲学を教えていた。ソクラテスは自分が製作したものを知らないで販売する商人に例えて、職業教師ソフィストを批判する。報酬の要求は教師と弟子の関係を商人と顧客の関係へと変質させる恐れがある。ただ、ソクラテスは教師の権威的立場を保守したいわけではなく、さらに教師の立場をも問いに付す。「無知の知」を自覚するソクラテスからすれば、教師と弟子の人格的成熟の過程のなかに哲学の本義があるのだ。



発表後の質疑は活発で、「無償性を称賛するのはいいが、哲学は時間がかかる。教師は生活の糧をいかに得るべきか」「無償性の問題はまさに今日的だ。学校外に哲学カフェなどの在野の活動が展開されると、司会者やゲスト講師への謝金をどうするのかがつねに問われるからだ」といったコメントが相次いだ。終了後に4名ほどの聴衆に囲まれて「原稿をいただきたい」と頼まれたことは嬉しかった。

「哲学」「教育」「機会」「平等」といった基調主題に何を付加するかが各人の発表の鍵だった。市民の政治的平等を実現しようとするフランス共和制の歴史性、不平等をもたらす学校教育の競争主義や能力主義、哲学教育の失敗の基準、子供への哲学教育などである。Edwige Chiroutier氏は小学校での文学を通じた哲学教育の実践を紹介されていて、新鮮だった。フランスではプラトンの洞窟やギュゲスの指輪などの哲学的神話の絵本化が試みられている。また、子供向け絵本にはそもそも哲学的な表現が散見される。複雑な現実を解釈するために、子供には大きな物語が必要である。現実との適切な距離をとり、概念的な思考を育むために、子供には文学的表現は有効であるだろう。

ユネスコという国際的な場所で哲学の新たな実践が模索されている様子をみて、こちらとしても大いに励まされた次第である。




(後方の壁には巨大な絵が飾られてあり、登壇者はこの絵を遠望しながら話すことになる。何だかとても落ち着いた気分になる絵だった。)

日本人・韓国人留学生哲学フォーラム「世界を表象/想像する?」

日本人・韓国人留学生哲学フォーラム「世界を表象/想像する?」



2011年11月20日、パリの大学都市の日本館にて、日本および韓国留学生グループによる哲学フォーラム「世界を表象/想像する? (se) Représenter le monde ?」が開催された。


(パリ南部にある大学都市の本館)

パリに留学している日本人および韓国人の主に哲学系の博士課程の学生によって、定期的に研究会が開催されてきた。彼らは、執筆中の修士・博士論文の一部を自国語ないしはフランス語で発表をおこない、濃密な議論と研究交流の場をもうけてきた。今回は双方のグループが初めて合同で実施する記念的な公開フォーラムだった。私が留学中はこうした定期的な研究会は実施されていなかった。往々にして孤立しがちな留学期間において、こうした交流の場が定期的に開かれてきたことの意義は実に大きい。


(主催代表の馬場智一さんとHye-Young Kyungさん)



Min-Jun Huh氏(ソルボンヌ大学/ルーヴァン大学。写真中央)は、発表「Imaginatio――ボエティウスにおける同義と異義」において、ラテン語imaginatioの多様な意味が分析された。imaginatioはギリシア語のphantasia(対象の感覚的・物質的な諸属性からその形式を分離させる能力)とepinoia(精神的な表象によって、分離された諸属性を消去する能力)の訳語として使用される。ボエティウスによるimaginatioの解釈と用語確定を通じて、ラテン語が哲学的言語として地位を得る様子が実証的に示された。翻訳の実践的試みを積み重ねることで、哲学言語の論理と構造が洗練されていくのだ。質疑では韓国と日本における西欧哲学の翻訳可能性とその限界に議論が広がっていった。



赤羽悠氏(東京大学/EHESS。写真右)の発表「世論と独創的なモナドロジー――民主主義的社会に対するタルドの眼差し」において、タルドにおける個人―社会の連関の構図を明快に説明した。純粋に精神的な集団性は個人と区別される観念ではなく、個人のただなかに見出される。その意味で、確立された伝統や理性とは異なり、「世論」こそが個人と集団を再分節化する境界であり、社会論理の流動そのものである。タルド社会学の骨子は的確に示されたものの、タルドの立論と民主主義社会との連関を扱う後半部分には論証の余地が残り、会場から疑問が呈された。



馬場智一氏(日本学術振興会。写真右)は「イメージ、モナド、形而上学――レヴィナスが参加したハイデガーの講義から」において、レヴィナスの著作『時間と他者』末尾の他者論の来歴と解釈を実証的に分析した。レヴィナスはハイデガーの〈他者と共に存在すること〉をプラトン以来の「融即」概念のなかに位置づけ、他者性を抹消する論理として批判する。この行論はハイデガーの1928-29年講義「哲学入門」のレヴィナス流の受容によるものだが、〈共存在〉は現存在の本質とみなされる。現存在は孤立した主観性ではなく、開かれた窓をもつモナドであるとハイデガーが言明している以上、レヴィナスの〈対面〉概念とのその連関は慎重に検討されなければならない。



アラン・ブロッサ氏(パリ第八大学)は発表「誰がベンヤミンを殺したのか?」において、フランス―スペイン国境でのベンヤミンの自殺を当時の政治的状況を踏まえて考察した。ベンヤミンはフランスでまさに世界市民的な批評活動を展開していた一方で、ヴィシー政権下を生き延びるユダヤ人として脆弱な立場にあった。とりわけ、フランス人と外国人を政治的に区別し監視する「内的国境」がいたるところで作用し、亡命者の精神を圧迫する。ベンヤミンを自害に至らしめたのは全体主義体制のみならず、こうした「統治する合理性」(フーコー)の国家的作用である。



会場から馬場さんは適切にコメントを返した。「原発事故後に福島の酪農家の方が自殺に追いやられたが、これは『内的国境』のもっとも暴力的な具体例だろう。飼っている馬、牧草地、住居といった生活空間が放射能で汚染されることで、突然、自分の世界像が崩壊する。自宅に居ながらにして、亡命者の立場に立たされるという途方もない逆説がここにはある」。

自国人と外国人を区別する「内的国境」は現在のフランスでもいたるところにあり、そうした状況に敏感なブロッサ氏の発表は留学生たちの境遇に直接響くものだった。ブロッサ氏は学生らの不安を汲みとった上で、「いかなる状況であれ、哲学の務めは現在時を診断することに尽きる」と助言した。



韓国ではポストドクターや非常勤講師が熾烈な競争にさらされている。業績点数を稼ぐために「評価される研究主題や手法」を強いられ、その矛盾の苦悩から自殺者も出ているという。研究教育がいかに過酷な競争のなかにあっても、今回の合同研究会のように、同じ世代の同じ仲間と共に切磋琢磨することはきわめて重要だ。開かれた窓をもつモナドの交流を通じた集団性の目線から、自分と社会の未来を遠望する機会を忘れないようにしたい。

日本と韓国人留学生による第一回目の合同研究会に参加することができて貴重な時間を過ごさせていただいた。私はパリの国際哲学コレージュにてディレクターを務めているが、今後は自分のセミナーの一部を彼らとの共催企画にしたいと思う。次回2012年3月26日は、馬場智一さんとHye-Young Kyungさんをコメント役に招いて、セミナー「哲学と大学」をパリにて開催する。少しづつであるにせよ、制度を変えることは、私たちの未来を変えることにほかならない。

「ヴァルター・ベンヤミン――アーカイヴ」展

「ヴァルター・ベンヤミン――アーカイヴ」展




パリのユダヤ芸術歴史博物館にて「ヴァルター・ベンヤミン――アーカイヴ」展が開催されている(2011年10月12日-2012年2月5日)。




(中庭にあるドレフュス大尉へのオマージュ。毅然とした態度と折れた剣の対比が印象的。)

展示は「収集家ベンヤミンの収集物を展示する」という自己言及的な構造を備えていて実に興味深い。歴史の屑拾いを実践し、紙片や手帳に書き散らかした文章群を分類し再結合することで数々の著述を残したベンヤミンの創作の秘密を堪能することができる。展示物のあいだを散策する者もまた、これらの収蔵物(アーカイヴ)を過去のものとして鑑賞するだけでなく、そこから何事かを生み出すようにうながされる、そんな不思議な空気に満ちた空間だった。



収蔵物は13の主題に即して配置されており、ショーレムやアーレント、アドルノらとの交流に関する資料も展示。資料集はWalter Bnjamin Archives(Ed. Klincksieck, 292 pages, 29EURO)として出版されている。期間中はパリ市内を中心に数十の講演会や催事が開催される。最後は、2月1-3日、IMECでの大規模シンポジウム「フランスにおけるヴァルター・ベンヤミンの星辰配置――受容と批判」で幕を閉じる形だ。

展示資料
1.「『関心事の樹形図』――収集家ベンヤミン」
ベンヤミンは自ら収集した資料群を、1933年5月のショーレム宛の書簡で「関心事の樹形図」と呼ぶ。資料群はたんに保存されるだけではなく、再構成され再創造されるべく分類された。



2.「紙片やビラの上に書き散らかされた文章群――集合と散乱」
亡命者ベンヤミンが手紙の裏、申請書、ビラなどにその都度書き散らかした文章群。
3.「さらに小さく――極小の文字記述」
1920年代、ベンヤミンは原稿や手紙をますます極小文字で書くようになる。一文字の大きさは約1.7ミリ。ただし、極小の文字記述は無意味なことではなく、表現の節約、明確な文体、簡潔さの意識のために必要な手法だったという。手帳や手紙に書き記された文字群の蝟集は観者を物質的に圧倒する。



4.「事物の世界の相貌――ロシア玩具」
1926-27年の冬にロシアに滞在したときに収集した玩具。
5.「意見と考え――息子の言葉と表現」
息子ステファンが誕生してから、ベンヤミンはこの幼児の言語表現を入念に観察したが、その16頁ほどの資料が残っている。聞き間違いや意外な隠喩的表現などの言語分析は後の言語理論の形成に役立った。
6.「愛情に満ちた紙切――忘備録」
ベンヤミンは旅の記録、着想メモ、引用集、草稿などと複数の忘備録を使い分けていた。
7.「旅のイメージ――風景の絵葉書」
ベンヤミンは子供の頃から絵葉書を宝物のように収集していた。
8.「弓を引く――構成、構築、織成」
ベンヤミンは得られた着想や主題、引用などをメモ書きし、無秩序な状態のままそれらを考察した。異なる紙片に書かれたメモ群を類似した道筋に沿って再配置しながら、最終的な文章の形を模索した。矢を放つために弓を引くような作業である。



9.「配置――図表的表現」
原稿を執筆するために用いた諸概念や文章の図式的な表現。
10.「屑物の収集――『パサージュ論』の仕事」
『パサージュ論』に収斂する歴史の屑拾い屋ベンヤミン。
11.「アーモンド割り――謎かけ、なぞなぞ、言葉遊び」
ベンヤミンが友人たちとやり取りしたなぞなぞや言葉遊びの資料。
12.「巫女シビラ――シエナのモザイク」
現在時の意義は過去のプリズムから現われてくるという予言的方法を唱えたベンヤミン。1929年にシエナを訪れたベンヤミンが買い求めた、過去と未来を予言する巫女シビラの絵葉書。
13.「移行し変化する空間――パッサージュとインテリア」
ベンヤミンが重要視したパリのパッサージュの写真資料。

レンヌ大学訪問

レンヌ大学訪問


2011年11月22日、パリ・モンパルナス駅からTGVに乗り2時間、ブルターニュ地方の都市レンヌを訪れた。


(サンタンヌ教会前広場)

レンヌは人口40万人で、フランス第十番目の規模の都市。こじんまりした市街地に地下鉄が一線だけ走っている。有名な観光地モン・サン・ミシェルにはバスで1時間ほど。レンヌ第1および2大学と28のグランゼコールがあるレンヌは6万人の学生を擁する大学都市だ(留学生は5500人ほど)。他の都市と比べて若者の比率が多く、活気のある街である。左派の政治色が強いため、社会保障が手厚く、フランスでも住みやすい都市として定評がある。


かねてからの友人でもある東京都立大学の出身者・高橋博美さんがレンヌ第二大学で日本語教師として教鞭をとっているため、お会いして大学の話をうかがった。交換留学枠で沖縄に夏まで滞在していたキムさんも同席した。



レンヌからは交換留学制度を利用して毎年10名ほどが日本に留学している。みんな日本での生活に満足しているようで、キムさんも日本の大学のサークル活動(空手とエイサー)や居酒屋が懐かしそうだった。レンヌ大学には日本語学科はないが、学生らは幼い頃から日本の漫画やアニメに触れてきたこともあり、未修言語科目として日本語に人気が殺到するという。フランスでは一年間日本語を学んだだけだが、留学した学生は熱心に勉強し、見事な成果を上げている。



留学生活を回想するキムさんの活き活きした表情を見て、私自身、留学初年度の喜びと苦労を思い出した。若い学生が留学を通じて、真新しい経験を積み重ねることは実に肯定的なことだ。残念ながら、首都大学東京の留学制度はその教員や学生の数や歴史に比例してきわめて貧弱である。交換留学制度を拡充することで学生の国際交流を充実させたいところである。

(昼食をとったクレープ屋さんはすっかりクリスマス・ムード)


(ブルターニュ地方の伝統料理「ガレット」≒黒麦のクレープ。カップに入っているのは、ブルターニュ名産の林檎酒「シードル」。この地方では幼児からシードルを飲む。)

パリの書店から――1961年から50年/脱原発関係

パリの書店から――1961年から50年/脱原発関係



今回の滞在中に毎日、カルチエ・ラタンの書店巡りをして、1961年から50周年の出版物が相次いでいることが分かった。そのいくつかの出版物と新刊について記しておきたい。


(バデュウとジジェックの新刊ラッシュが止まらない)

エマニュエル・レヴィナスが国家博士論文『全体性と無限――外部性に関する試論』において、西欧哲学が他者を〈同じもの〉の論理に従属させてきた覇権的な歴史を根本的に批判し、他者への倫理の先行性を説いてから50年が経った。春先にDanielle Cohen-Levinasの編集による論集Lire Totalité et Infini d'Emmanuel Levinas : Etudes et interprétations〔エマニュエル・レヴィナスの『全体性と無限』を読む――研究と解釈〕が刊行された。雑誌では「ヨーロッパ」誌(11月号)や「レ・タン・モデルヌ」誌(第664号)が特集を組み、日本の「現代思想」誌でも特集号が予定されている。パリ滞在中、朝10時の開店と同時にカルチエ・ラタンのジベール書店に入ると、村上靖彦氏(大阪大学)とばったり会った。エコール・ノルマルでのレヴィナス・シンポジウムに参加されるとのことでこちらも励まされた。



構造主義の代表的著作であるミシェル・フーコーの『狂気の歴史』の刊行からも50年が経った。ここ数年、フーコーを政治的理論や実践として活用する傾向が顕著であり、実際、フランスでも社会科学分野で研究が活気づいている。フィリップ・アルティエール〔Philippe Artières〕はむしろフーコーの文献学的整備を進め、実証的研究の重要性に力点を置く。彼はすでに『言葉と物』『監獄の誕生』の代表的批評を集めた論集をRegards critiquesシリーズとして編纂している(Les Mots et les Choses de Michel Foucault 1966-1968 ; Surveiller et Punir de Michel Foucault 1975-1979)。今年も同様に、『狂気の歴史』の代表的批評の論集(ブランショやバルトからノラまで)が刊行された(Histoire de la folie à l'âge classique de Michel Foucault: Regards critiques 1961-2011, Presse Universitaire de Caen)。また、『狂気の歴史』の草稿や出版に至る経緯、デリダらとの論争など、歴史的資料を網羅したUn succès philosophiqueも刊行され、この大著の歴史的価値を再確認させられる。EHESS出版からフーコー関係の小著の刊行が相次いでいて、今年はクロード・ボンヌフォワとの1968年秋の対談が出ている(Le beau danger de Michel Foucault et Claude Bonnefoy)。



かつて留学していた時にバリバールの授業で「若いみなさんは御存じないでしょうけれど、フランツ・ファノンという方がいまして……」という言葉に驚いたことがある。たしかに、フランスではポストコロニアル批評が流行らないせいか、ファノンも読まれていない。61年12月6日に白血病で若干36歳で亡くなったファノンを再評価するために、La Découverte出版から全集と評伝が刊行された(Œuvres, édité par Achille Mbembe et Magali Bessone; David Macey, Frantz Fanon, une vie, traduit par Christophe Jaquet et Marc Saint-Upéry)。雑誌ContreTemps(6月号)が特集を組み、論集Frantz Fanon, 50 ans après... (édité par Isabelle Garo)やMatthieu Renault, Frantz Fanon: De l'anticolonialisme à la critique postcoloniale (Ed. Amsterdam)が刊行されている。政治活動家のみならず思想家として、反植民地主義のみならずポストコロニアル批評としてファノンをどう再評価できるのかが掛け金のようだ。



1961年10月17日はアルジェリア系市民の虐殺が起こった日である。アルジェリア独立戦争が泥沼化していたこの時期、デモ行進をしていた数万人のアルジェリア市民を警察が弾圧。デモ参加者は暴力的な扱いを受け、橋の上からセーヌ河へと投げ込まれて200名ほどの死体が浮かんだ。フランス現代史においては1871年以来の市民の虐殺事件である。真相は解明されたわけではないが、戦後フランスのこの暗部に関する書籍がやっと何冊か書店に並ぶようになった。


(脱原発、エコロジーの陳列棚)

そして、福島原子力発電所事故の後、フランスでどのような出版物が出ているのかは気になるところだ。雑誌では、大衆向けの哲学雑誌Philosophieが5月号で特集「原子力――私たちは理性を失ったのか」を組んだ。自然科学系のLa Recherche誌が6月号で特集「原子力と自然のリスク」を、Regards sur l'actualité誌が8-9月号で特集「フランスの原子力――いかなる未来?」を刊行した。

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書籍としては、原子力の技術者二人が政府と電力会社の嘘を告発し、その政策を批判したBenjamin Dessus et Bernard Laponche, En finir avec le nucléaire : Pourquoi et comment〔原子力と決別するために――その理由と方法〕や、Jacques Foos et Yves de Saint Jacob, Peut-on sortir du nucléaire ? : Après Fukushima, les scénarios énergétiques de 2050〔原子力から脱却できるのか――フクシマ以後、2050年のエネルギー政策のシナリオ〕が刊行された。900のグループ、55,000名からなる「脱原子力」ネットワークによる啓蒙的書籍Sortir du nucleaire, c'est possible ! 〔脱原発は可能だ〕(Nova)やCorinne Lepage, La vérité sur le nucléaire : Le choix interdit〔原子力の真実――禁じられた選択肢〕 (Albin Michel)、デュラスの『ヒロシマ・モナムール』をもじったDaniel de Roulet, Tu n'as rien vu à Fukushima〔君はフクシマで何も見なかった〕(Buchet-Chastel)も出ている。

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概観した感想は次の通り。ヨーロッパではチェルノブイリの悪夢が定着しており、その反省を踏まえ、その文脈上でフクシマ以後が論じられている。「フクシマを受けてヨーロッパは脱原発ヒステリーを起こしている」と放言した自民党の哀れな政治家がいたが、大きな間違いである。フランスは原子力依存75%で世界最大だが、脱原発の世論はいまや77%に達している。フランスにもアレバを中核とした「原子力村」があり、政府とともに欺瞞的なエネルギー政策が実施されてきたが、こうした現実に市民は敏感なのだ。また、現在フラマンヴィルに巨大な原子力施設が新設されているが、飛行機の墜落事故やテロ攻撃などへの備えは十分なのかという問いが出てくる。これは日本ではあまり見られない議論だろう。そして、政治レベルで言えば、「緑の党」の存在はフランスとドイツで大きい。フランスでは来年の大統領選挙に向けて、社会党と緑の党が協力体制に入ろうとしているが、脱原発が両者の合意形成の争点となっている。日本とは大きく異なり、1960-70年代の社会運動が政党として制度的に存続していることには大きな意義がある。フラマンヴィルに近いレンヌでは10月15日に2万人の脱原発デモがあり、来年3月にはリヨンで大規模なデモが予定されている。