巡回上映の記録 2013年10月 セルビア

2013/9/30−10/3 セルビア(ニシュ、ベオグラード)


(参加者=Zoran Dimić, Ivan Milenkovic, Ivan Nikolic, Bojan Blagojevic, Jovan Cekić)


ソフィアの中央駅に隣接するバス・ステーションからセルビアへ向かう。東欧では列車よりもバス移動が便利。国境を通過してニシュまで3時間のバスの旅。


ニッシュはセルビア第三の都市。ローマ時代には交通の要所となり、とくにコンスタンティヌス1世の生誕地として有名だ。ローマ皇帝コンスタンティヌス1世は313年にミラノ勅令を発布してキリスト教を公認した。初のキリスト教公会議である第1ニカイア公会議を開催したのも彼で、キリスト教徒間の教義の対立を調停する役割を果たした。また、330年、ローマからバルカン半島のビュザンティオン(後のコンスタンティノープル)に遷都するという大事業も成し遂げた。本年はミラノ勅令から1700年で、ちょうど二週間後に大規模なイベントが開催されるという。


ニシュ要塞。オスマン・トルコ期に築城され、現在でも良い状態で保存されている。要塞内は市民が安らげる広大な公園にもなっている。

2013年9月30日、昼12時からニシュ大学の哲学科にて、映画「哲学への権利」上映・討論会がおこなわれた。新年度が始まる前週だったけれど、学生・教員が50名ほど駆けつけてくれて教室が満席となった。討論には、Ivan Milenkovic, Ivan Nikolic, Bojan Blagojevic, Zoran Dimićが参加した。彼らの政治的関心は高く、左派の歴史的文脈と国際哲学コレージュの哲学的活動とのつながりに関する質問がいくつかあった。





招聘していただいた文学部長Goran Maksimovć氏を訪問。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992−95年)のためにサラエヴォ大学が事実上機能しなくなり、彼は20代初めに亡命したという。スラブ文学専門のMaksimovć氏は英語が話せず、通訳してもらった。「大学の要職に就く教員が英語を話せないなんて、日本ではありえないでしょうけれど……」と言っていた。


バスで3時間移動して、首都ベオグラードに向かう。ニッシュのバスは赤い車体。


ベオグラードはヨーロッパ最古の都市の一つで、紀元前6000年頃に居住の後がみられるという。ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン・トルコ帝国、オーストリア・ハプスブルク帝国など、数々の勢力が支配を争ってきた、ヨーロッパとオリエントの十字路。ベオグラードの名前の意味は「白い要塞」。

旧共産主義圏でも国によってソ連の政治的・文化的影響力は著しく異なっていた。強権的な支配を受けていたブルガリアと比べると、ユーゴスラビア連邦は比較的リベラルな雰囲気が残されたという。ティトー大統領(1953−80年)が資本主義陣営と社会主義陣営の狭間で、他民族のあいだの絶妙なバランスを保ってきたことも大きかった。


19−20世紀に詩人や芸術家らが集まったボヘミアニズムの地区であるスカダルリヤ通り。

ベオグラード城砦とカレメグダン公園

古典主義様式のサボルナ教会

ベオグラード大学は、1808年に創設されたベオグラード高等教育学校に端を発するが、これはバルカン半島全域で初めての高等教育の機関だった。

(大学の玄関ホール。新学期直前で登録手続きなどのために登校した学生たち)


(哲学科に併設された書店プラトンでは猫が放飼い)

東欧では日本文化が人気で、ベオグラ-ド大学では1976年から日本語講座が開設されている。言語学部の日本語・日本文学専攻課程の新入生入学ガイダンスに招かれ、少しスピーチをさせていただいた。今年は51名の新入生で、教室にみなぎる新一年生の熱気から力をもらった。


左派の日刊紙Danasにインタヴュー「カタストロフィを思考する」を掲載していただいた。

2013年10月2日、ベオグラード文化センター(Belgrade Center of Culture)にて、映画上映・討論会をおこなった。市街地の中心にある老舗の市立文化センターだったため、一般市民・教員・学生ら90名ほどが詰めかけて会場が一杯となった。討論には、Ivan Milenkovic, Zoran Dimic, Jovan Cekicが参加した。「デジタル・ヒューマニティーズは哲学の将来性にとって有益か」「哲学にとって優劣を目指す競争とは何か」といった質問を受けた。





ブルガリアでもセルビアでも大学教員の給料はごく控え目な額だ。ブルガリアでは講師5万、准教授6万、教授10万程度で研究費はない。何らかの外部資金を獲得しなければ、国外での活動などは難しい。セルビアでは、講師7万、准教授12万、教授15万程度でこちらも研究費はないが、海外出張費が年4万ほど支給される。一般市民の月収も低所得層で3−4万円程度だそうで、フランスに慣れているヨーロッパの周辺地域の現実を思い知らされた。日本は世界的にみて恵まれた研究環境で、貴重な給与・研究費を大切に使用しなければと再確認した。

欧州ではボローニャ・プロセスによって研究教育が競争的になっている。セルビアの友人ゾランによれば、論文を書かない年配教授が駆逐され、みなが最低限の研究成果を公表するようになるので、若手・中堅には良い傾向だと言う。たしかにゾランはまだ、地方のニッシュ大学の講師だが、精力的に国際会議での発表に挑戦し、英語で論文を刊行している。ニッシュ大学哲学科では彼以外、誰も海外出張費を使用しないという。

ブルガリアでもセルビアでも、出会った研究者たちはみな素朴で暖かかった。同じヨーロッパだが、フランスやドイツとは異なり、むしろ韓国や台湾で経験したものに近い家族的な歓待を受けた。計4回の催事も責任をもって適切に準備していただき、どれも満足のいく内容となった。東欧は未知の地域だったが、哲学の翻訳書も数多くあり、教員や学生の知的関心や水準は高い。今後も彼らと研究交流を発展させていきたい。