巡回上映の記録 2012年10月 台湾
2013/10/19 国立台湾大学(林鎮国、苑舉正、楊凱麟、黄冠閔、佐藤将之)
2013年10月19日、国立台湾大学にて、台湾哲学会・年次大会のプレイベントとして映画「哲学への権利」上映・討論会が開催された。台湾大学哲學系副教授・佐藤将之氏の尽力で企画が準備された(約50名の参加)。
台湾では、一般の大学が約60校(国立大学20校、私立大学26校、ほかに芸術や体育、医科の大学など)、師範大学系が12校あり、科技大学などの技術系大学が93校ほどある。1987年の戒厳令の解除以降、台湾の民主化は教育にも影響し、高等教育制度が拡充してきた。とりわけ、1994年の「大学法」改正によって政府の規制が緩和され、大学自治と学術自主の原則、学生・教員の権益保障が確立したとされる。
国立台湾大学の前身は、日本統治時代の1928年にに設立された台北帝国大学。戦後、1945年に中華民国政府に接収されて現在の名称となった。現在でも日本統治時代の建物が残っている。11学院、54学系、96研究所、33研究所と夜間部を擁し、3万人以上の学生が通うマンモス校。台北市南部に位置する広大なキャンパスでは南国風の風景が広がる。
討論会では哲学会の重要人物に登壇していただき、台湾の哲学事情を踏まえた上で議論ができて、たいへん光栄だった。東京でお会いしたことのある黄冠閔(中央研究院・副研究員)氏(下写真中央)が司会を努めてくれた。
林鎮国(国立政治大学教授)氏(下写真中央)は、哲学の制度をめぐる映画に人々が集って鑑賞するという経験は稀なことで、この会場での経験そのものをとても興味深く感じた。どこか「秘密結社」のような雰囲気だが、哲学の公共空間の問いを喚起していたのではないか。場所と時間の問い、「どこで哲学するのか、いつ哲学するのか」は哲学にとって重要な問いだ。例えば、パリと台北では哲学の事情は異なる。68年に源流をもつ国際哲学コレージュの創設を考えると、パリの哲学はここ四半世紀に渡って活動的だ。台湾の哲学事情を考えると、動向は鈍く、80年代の戒厳令解除以後になってやっと哲学の制度が整ってきた感がある。だが他方で、哲学の専門化、制度化の行き過ぎにブレーキをかける必要もあり、雑誌の刊行やこの台湾哲学会の創設がなされてきた。哲学の未来については悲観的になってしまうが、希望のひとつはこうした台湾哲学会が哲学の「秘密の場所」として機能し、哲学的な想像力を掻き立ててくれることである。
苑舉正(台湾大学哲学系主任)氏は豪快な口調で、冗談を交えながらコメントを加えて会場を魅了した。ベルギーのルーヴァン大学に留学していた彼は、「フランス現代思想を批判することは困難だ、なぜなら、彼らは物事の本質が何であるのか〔what it is〕を主張しないのだからね」と切り出す。まず、フランスの哲学者は制度や制度化を嫌悪し、否定しているが、いかがなものだろうか。次に、デリダは「歴史の哲学」ではなく、「哲学と歴史」という領域交差を提起するが、少なくとも台湾では通用しない。いまだ脆弱な哲学制度しかない台湾では、哲学という専門分野をさらに深化させる必要があるからだ。そして、映画で強調される「抵抗」については再考の余地がある。例えば、台湾における資本主義経済の発展は哲学の進展と切り離せず、台湾では哲学が抵抗の力となることは難しいだろう。
楊凱麟(台北芸術大学藝術跨域研究所教授)氏(上写真左)は、私が理解できるようにと敢えてフランス語でコメントしてくれた。彼はパリに留学していた頃、コレージュでジャック・ランシエールのセミネールに参加していた。念入りに準備された美学に関するセミネールで、ランシエールの思考の実験を目の当たりにしたという。
台北市では、1998年から「社区大学(コミュニティカレッジ)」が創設され、各行政区毎に現在12の社区大学が運営されている。大学並みの専門的な教育を万人に開放するため、また、成人学習や生涯学習の新しい公共的教育の形をつくるために創立された。入学試験などの制限がなく、満十八歳以上なら誰でも参加できる。中学校の校舎を借りて、夜間に授業が実施されている。学術課程(人文・社会・自然科学)、社団活動課程(地域活動への参与)、生活芸能課程(一般知識や文化)の課程があるが、実務的な傾向が強い。討論会では、社区大学のような大学制度外での市民的な教育活動の可能性も議論された。
2013/10/22 国立交通大学(劉紀蕙、朱元鴻、唐慧宇)
国立交通大学は工学、応用科学、経営学で有名な工学系の大学。人文社会系では、陳光興氏が主導するInter-Asia Cultural Studiesが国際的に有名である。2013年10月22日、社会科学・文化研究研究所(SRCS)に招聘していただき、映画「哲学への権利」上映・討論会をおこなった。研究所の院生ら20名ほどが集まった。10年前に創設されたSRCSは台湾でも珍しい学際的な研究所で、比較文学や地域研究、カルチュラル・スタディーズといった研究に力を注いでいる。フランスのパリ第八大学と共同して毎年、各地で国際会議を開催しているという。SRCSという周縁的な学際的研究所のあり方を問い直すためにこの映画が相応しいということで招聘して頂いた。
比較文学が専門の劉紀蕙教授は映画で提起された概念をたいへん気に入ったようだった。抵抗の場としての哲学、ある学問領域がその限界に耳を傾けるという領域交差、マイナーな立場への責任といった論点を強調した。その上で、自らの教育実践に即していくつかの指摘をされた。教室で学生が主体的に参与しているか、シラバスは参加学生の社会的・文化的・歴史的な条件を問うような内容になっているか。最後に劉氏は学生らへの問いかけで話を結んだ。「私たちは自らの限界に直面し挑戦しているでしょうか。未知なるものへの恐怖や敵対心を受け入れているでしょうか。」
社会学を研究する朱元鴻教授は、学術制度の周縁で学際的研究を奨励してきたSRCSにとって本映画は重要で、いくつもの問いが彼の思考と共鳴したとまず告白した。朱氏はおそらく自らの経験にもとづいて、「制度の政治」の論点を強調した。フーコーがヴァンセンヌ実験大学を、デリダが国際哲学コレージュを実現した際に感じた政治的なプレシャーはかなりのものだっただろう。ランシエールやバデュウにとって制度は政治とは異なる位相にあるようだが(制度=ポスト政治的なもの)、本映画からは、政治的な出来事が制度として生じる過程を考えさせられる。
博士課程院生の唐慧宇氏は、まず、フランスと日本、台湾の社会的な相違から話を切り出した。フランスや日本には、哲学の高度な素養をもちながら、社会的な実践へと介入する「現代思想家」がいる(日本の事例として、高橋哲哉と柄谷行人が挙げられた)。これに対して、台湾では批評家や歴史家ならともかく、哲学研究者はそうした実践をしない。次に、「哲学への権利」とは「いかなる哲学」なのか。この哲学が「フランスの批判理論」に限られないとすれば、台湾と日本でいかなる哲学を問えばいいのか。
大学制度の周縁的で領域横断的な研究を推し進めるSRCSでは、教員と学生との共同作業が実践されており、実際その雰囲気から潜在的なチームワークを感じることができた。教員も含めて個々人がバラバラな分野を研究しつつ共同するという連帯感が感じられた。こうした場所に招いていただき、討論の場をもてたことに深く感謝する次第である。
国立台湾大学と交通大学での催事が終わった。大陸中国と香港、台湾の学術交流は予想以上に展開されていることには驚いた。言語が共通であるため、直截的な対話はもちろん、彼らの連携は外国語の翻訳でも大きな効果を発揮する。歴史的な文脈や障壁を超えて、ますます一体的に研究教育が進展している力強さが感じられた。昨年からは学部学生の留学も許可され、単位・学位の互換が認められた。台湾では、現代思想ブームは去り、中国の歴史研究が盛んだという。日本の研究者も歴史研究やカルスタ研究の分野では東アジアとの交流は進んでいるが、私が従事するフランス思想・文学研究においては稀である。しかし、例えば、パリの国際哲学コレージュはその機関紙で「中国哲学」特集を組み、実際に上海などでシンポジウムを共催している。日本のフランス系研究者もフランスだけでなく、中国を舞台として、こうした催事に参加する必要が増していくことだろう。
2013/10/22 台湾の風景
台北市郊外にある旧炭坑村・九份。帝国日本が開拓した東洋一の金脈だったが、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退する。後に、二・二八事件を描いた映画「非情城市」(1989年)の舞台となり、ノスタルジックな雰囲気が台湾の人々を魅了し、一大観光地となる。さらに宮﨑駿監督作品の「千と千尋の神隠し」(2001年)の原風景として有名となり、日本人観光客が絶えない。宮崎監督が座ってスケッチしたという席に腰掛けてお茶をいただいた。
国立台湾大学の隣にある誠品書店(Eslite Bookstore)。古フランス語のEslite(エリート)という表現を冠しているだけあって、在庫商品やそのブランドは高い価値があり、人々に知的な場所であることをアピールしている。1989年に創業されて以来、現在では台湾全土に50店舗を展開している。専門書籍の充実、店舗内装のデザイン性重視、講演会や展示などのイベントの開催など、つねにクリエイティブな経営は人々の支持を得ている。
(文芸雑誌の書棚)
(語学書の棚には、英語と同じくらい日本語関連の書籍が並んでいて意外だった。)
(先頃逝去されたボブズホーム追悼のコーナー)
士林にある巨大な夜市。南国だけあって、果物が年中豊富。