巡回上映の記録 2009年12月


2009/12/05 南山大学(宮崎裕助、ギブソン松井佳子、加藤泰史)

2009/12/05 南山大学(宮崎裕助、ギブソン松井佳子、加藤泰史)




2009年12月5日、冷雨の午後、南山大学にて上映会がおこなわれた。日本およびフランスでの各地上映の最初を飾る回で、30名ほどが参加した(司会:加藤泰史、主催:南山大学ヨーロッパ研究センター)。



宮崎裕助(新潟大学)氏は、国際哲学コレージュを創設に導いたデリダの「勇気」を強調し、大学制度の既存のあり方への抵抗のメッセージをコレージュの活動の本義であるとした。ギブソン松井佳子(神田外語大学)氏は5つの質問を投げかけ、ドキュメンタリーという手法の有効性、カルチュラル・スタディーズと脱構築の関係、哲学の普遍性とフランスの地域性の関係などを問うた。

2009/12/12 ジュンク堂新宿店(萱野稔人)

2009/12/12 ジュンク堂新宿店(萱野稔人)


12月12日(土)、めずらしく暖かな冬の午後、ジュンク堂書店新宿店にて、萱野稔人氏(津田塾大学)をゲストに招いて上映会がおこなわれた(参加者46名で満席)。



私は萱野氏とはほぼ同時期にパリ第10大学に留学しており、エティエンヌ・バリバールのゼミなどでは同席していた。お互いに共有しているフランスの哲学の状況を踏まえながら、「いま、哲学の使命とは何か」をめぐって原理的な話をテンポ良く展開することができた。



哲学の役割を語る上で、「哲学は役に立たないからこそ役に立つ」といったいわゆる「無用の用」を強弁してはいけない、というのが二人が共有する出発点。萱野氏は哲学を通じて概念的に思考することの意義を強調しつつ、「哲学においては哲学を研究することが哲学そのものとなる」という自己反復的な哲学ならではの面白さを語った。西山は答えを性急に見つけるのではなく、数多くの偽の問いを絞り込み、問いを問いとして的確に洗練させることを哲学の意義とした。



萱野氏からは「映画で大学や哲学の現状と問題が的確に表現されていることはわかったが、その問題が西山さんの問いと具体的にどう関わるのかがいまひとつ不明瞭だ」との鋭い指摘をいただいた。この上映運動を通じて、自分なりの答え方を模索していくことになる。

会場にいらしていた大学論の泰斗・潮木守一氏(桜美林大学)からは、「金融工学のように、莫大な利益を引き出すことに加担する学問の伸張を前にして、哲学は価値の問題を原理的に思考する責務がある」という発言をいただいた。

ジュンク堂書店さんには、寛大にも、今回は通常イベントの倍の3時間枠を設定していただいた。中村洋司店長と阪根正行店員には深く感謝する次第である。

2009/12/21 ICU国際基督教大学(佐野好則、武藤康平)

2009/12/21 ICU国際基督教大学(佐野好則、武藤康平)


すでに街が師走の雰囲気に包まれた12月21日(月)、ICU国際基督教大学にて、佐野好則(ICU)さん、武藤康平(同前)さんとともに上映会がおこなわれた(参加者45名程度)。



討論は「国際/基督教/大学」と「国際/哲学/コレージュ」の三項の比較対照を軸に進められた。

まず第一に「国際性」だが、「国際性」はすでに私たちの時代のおいて自明の理となっているがゆえに、もっとも注意を要する表現である。つまり、「国際性」がつねに「ナショナルなもの」の媒介を含むことにどれだけ敏感でいられるか、が重要なのである。



第二に、「基督教の信仰」と「哲学の知」の関係からは歴史的な系譜を考えると膨大な問いが引き出されることだろう。信と知は一致するのか、それとも、対立するのか。デリダは『条件なき大学』において、教授(professeur)の語源にさかのぼって、信仰告白(profession de foi)の要素を強調した。研究教育活動において信と知が切り結ぶ地点においては、さらに行為の要素が介在してくるのではないだろうか。

第三に、「大学」とコレージュのような「大学の外」の関係が問われた。国際基督教大学が掲げる学際的な教養教育と、国際哲学コレージュが掲げる哲学の領域交差もまた、興味深い考察対象である。

野好則氏は、実は近年、大学ではちょっとした「教養ブーム」が起こっており、教養を冠する学部学科が新設されている、と診断した。しかし、そこで実践されている「教養」がどれほど成功しているのかはまだ不透明であり、その点で国際哲学コレージュの諸理念は重要な参照点になると述べた。


(今回の会を企画・運営してくれたのはまだ学部2年生の武藤さん)

12月から開始された『哲学への権利』上映会だが、無事に年内の3回を終えた。開催大学以外の大学生や、高校生も含めて一般聴衆も少なからず会場に足を運んでくれているのは嬉しい。上映会をおこなうたびに少なからぬ人々から力をいただき、今後の展望が徐々に開けてくる。作品それ自体が運動していき、予想のつかない方向へと私自身をも巻き込んで進んでいくかのように――新年の初回は広島大学、その後、東京各地での上映へ。