エッセイ (2011年〜)

国際哲学コレージュ存続決定!


10月27日、公開書簡を出していたオランド大統領からの返信(10/23付)が届き、国際哲学コレージュの存続が確定されました。請願書「万人の哲学への権利のために」に署名してくれたみなさん、ご支援をありがとうございました。

実はすでに10月22日、研究省から存続を確認するプレスリリースが発表されていた。
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プレスリリース
高等教育・研究大臣補佐 2014年10月22日

国民教育・高等教育・研究省は、国際哲学コレージュの職員と協力者に対して、この組織の存続を確保したいと思います。
本省は、昨年同様に国際哲学コレージュに振り込まれることになる予算の付与を確証いたします。
以上の措置によって、国際哲学コレージュは、哲学をめぐる開かれた学際的な対話を促進するべく、世に認められたその活動を継続させることができるでしょう。

大臣補佐室広報部
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 研究省からのプレスリリースがあったものの、具体的な手続きは示されていない。署名運動の火消し効果を狙った約束かもしれない。実際、ここ数年間、コレージュの予算はじわじわ削減されているので、具体的な予算額が確定するまで安心できない。存続の確証が現実味を帯びるまで、私たちは署名活動を続けることにし、10/23日に声明を出した。署名数は1週間で10,000筆を超えていた。署名数それ自体だけでなく、コメント欄での切実なメッセージは実に力の籠ったものだった。

署名活動を続けるなかで、パリ市役所からも支援が私たちに伝えられていた。「パリ市コレージュの深刻な状況を気にかけており、支援する用意がある。危機的な局面になれば介入するつもりだ。国際哲学コレージュは存続しなければならない。」閉鎖前の11/3日にはコレージュ主催でパリで支援集会が予定されていて、スピヴァックも登壇予定だったらしい。

10月27日、公開書簡を出していたオランド大統領からの返信(10/23付)が届いた。研究省のプレスリリースを確認し約束する内容だった。「すでにご存知の通り、国際哲学コレージュの予算付与は維持され、哲学と人文科学の発展のために活動する、万人に開かれたこの独創的な組織の存続は確保されます。」この書簡によってコレージュ側も存続を最終的に確認した。



 今回の危機を再創造のカイロス(好機)とするために、緊急雑誌特集「Apologie(弁明)」を組もう、と声が上がる。50名のディレクターのそれぞれが、哲学の将来のために国際哲学コレージュの擁護を綴った特集号。もちろん、これは『ソクラテスの弁明(Apologie de Socrate )』を想起させる。哲学者が社会の異分子として告発され、理性的な弁明にもかかわらず、ソクラテスに死刑を宣告される、あの西欧哲学の発端の教訓を。そうだ、さっそくやろうと賛同のメールが寄せられる。また、今後の中長期的な活動への展望や問題点を指摘する長文メールが流れ始める。やはり3年毎の院長交代、過去のディレクターとの関係の薄さはコレージュの脆弱性の原因ではないか、など。しかし、無報酬でなぜみんなこれほどまでに盛り上がれるのか? コレージュは本当に哲学の制度的な特異点だと思う。未来に向けて再び動き出した国際哲学コレージュ。涙しながら請願書を日本語に翻訳したのが遠い昔のことのようだ。

ところで、人文学の危機は世界中で巻き起こっている。2010年のミドルセックス大学哲学科閉鎖の際も想像しただ、日本で同じことが起こればどうなるだろうか。実際に、国立大学からの人文学縮小案が出され、再編や統合は進んでいる。日本の哲学を救うために国際的な署名活動ができるだろうか(日本の哲学? 日本における西欧哲学研究?)。一般市民やメディアは関心をしめすだろうか。文科省や首相は公開書簡に答えてくれるだろうか。人文学研究者はいかなる抵抗の論理と手段を、つまり、「Apologie(弁明)」を 持ち合わせているだろうか。

今回の騒動をめぐるすべての資料はコレージュのHPにて公開され、院長からの存続声明もまもなく発表される予定である。
 この一連の出来事を、困難な時代における、哲学の貴重な勝利の事例として強く記憶したい。

請願書「万人の哲学への権利のために──国際哲学コレージュを救おう」

1983年にジャック・デリダらが創設した国際哲学コレージュが閉鎖の深刻な危機に追いやられています。慎ましやかな予算240,000ユーロ〔約3,360万円〕が、今年度支払われていません。このままだと機能停止のまま、11月5日に破産宣告を余儀なくされます。私は2010年からディレクターを務めていますが、国際哲学コレージュのおかげで、多様な国際的連携のもとで、きわめて自由な哲学的活動を実施することができました。私はまだ、この脱構築的な組織の可能性をまだ信じています。哲学への風当たりがますます増している現在、このたぐい稀な脱構築の制度的実験場が消滅すれば、私たちは、思考のための大きな灯火を失うことになるでしょう。この信を共有するすべての人々に署名を呼びかけます、万人の哲学への権利のために。(西山雄二)

署名のページ:http://www.change.org/p/madame-najat-vallaud-belkacem-sauvons-l-espace-civique-du-coll%C3%A8ge-international-de-philosophie-pour-le-droit-%C3%A0-la-philosophie-pour-tous?recruiter=167131609&utm_campaign=signature_receipt&utm_medium=email&utm_source=share_petition

請願書「万人の哲学への権利のために──国際哲学コレージュという市民空間を救おう」(日本語訳)

 国際哲学コレージュは、人々からの幅広い関心を集めている、非営利のアソシエーションである。1983年、国際哲学コレージュは、フランス国家の政治的意志と、知識人や哲学者ら(とりわけ、フランソワ・シャトレ、ジャック・デリダ、ジャン=ピエール・ファイユ、ドミニク・ルクール)による思考の無条件的な要求が結び合わさって誕生した。既存の研究教育制度の傍らで、国際哲学コレージュはつねにその約束を守ってきた。コレージュはいかなる公定の哲学も擁護しない。コレージュは慎ましやかな財源によってその活動を展開している。コレージュの産物の数と質だけでなく、哲学や人文科学といった知的生活に対するそのインパクトのことを考えると、その財源は慎ましやかなものである。思考の要請という条件にしたがって、国際哲学コレージュは哲学者、知識人、作家、科学者、芸術家の交流を、市民社会との関わりを踏まえて推奨している。国家、言語、専門分野の境界線を乗り越えて、批判的思考がまったく自由に実施され刷新される公共空間の構築にコレージュは寄与している。
 昨年度、国際哲学コレージュは720時間分の公開セミナーを無料で提供した。数々のシンポジウム、ワークショップ、著者を交えての書評会も企画された。年四回刊行される雑誌「デカルト通り」(すべてネット上でオープン・アクセス)は閲覧者数が急上昇している。
 国際哲学コレージュは今後、リュミエール─パリ大学と連携することになる【1】。リュミエール─パリ大学はパリ第八大学、パリ西ナンテール大学、フランス国立科学研究センター(CNRS)とその他の機関によって構成される。リュミエール─パリ大学を介して省庁から約束されている今年度予算240,000ユーロ〔約3,360万円〕は結局支払われておらず、いかなる釈明もなされていない。この予算未払いが国際哲学コレージュを破産申し立ての縁に追いやっているのだ【2】。国際哲学コレージュでは、運営スタッフ四名分の給与のためにこの予算が不可欠である(この予算がなければ彼らは失業に陥る)。最低限の機能を保持し、50名のプログラム・ディレクターがフランス国内外で無償で実施している活動を支援するためにこの予算が必要なのである【3】。
 2014年11月、国家権力の決断が下されなければ、国際哲学コレージュは、強固な国際ネットワークにもとづいて、過去30年間展開してきた活動と創造に幕を下ろすことになる。思考の実験、革新的な研究、独創的な教育の場が消滅することになる。フランス研究省によるギロチンの刃は降りた。240,000ユーロ〔約3,360万円〕の今年度予算が削除されようとしているのだ。
 私たちは、国際哲学コレージュの運営のために、年間の研究資金240,000ユーロが維持されることを要求する。また、民主的な社会における万人の哲学への権利のために、国際哲学コレージュの運営条件が永続化されることを要求する。だが、今日のフランスにおいて、自由で野心的な研究の擁護を約束する明白な政治的意志は存在するのだろうか。私たちの願いは、国際哲学コレージュがさらに多年にわたり、世界中からやって来る次世代の思想家を受け入れ、万人に開かれた批判的で自由な思考を生み出すべく機能することである。
 国民教育・高等教育・研究大臣ナジャット・ヴァロー=ベルカセム氏に対して、国際哲学コレージュの運営予算凍結を解除することを訴えるべく本請願書に署名をお願いします。また、みなさんの周囲にも署名を呼びかけてください。

2014年10月17日、パリ 国際哲学コレージュ評議会 collectif@ciph.org

〈訳註〉
【1】フランスでは研究教育の国際競争力の強化のために、2006年から「研究教育拠点(Pôle de recherche et d'enseignement supérieur : PRES)が設立されてきた。この計画を引き継ぐ形で、2013年の法令によって「大学共同体(Communauté d'universités et établissements : ComUE)」が設けられ、大学と研究機関の連合が促されてきた。リュミエール─パリ大学(Université Paris-Lumières)は主にパリ第八大学とパリ西ナンテール大学からなる大学共同体のひとつ。
【2】パリの大学は平均2,4億ユーロ(約336億円)の年間資金を得ている。日本の国立大学と比較すると、2012年の東京大学の運営費交付金は840億円、京都大学は560億円などで、配分額第8位の名古屋大学が330億円程度。
【3】年間予算240,000ユーロ(約3,360万円)のうち、四名の運営スタッフへの給与を支払って、残額はせいぜい1,500万円ほどではないだろうか。50名のプログラム・ディレクターに配分される活動費は500ユーロ(7万円)。開催される多数のシンポジウムやセミナーの数を考えると、国際哲学コレージュは哲学に対する無償奉仕の情熱によって支えられている希有な国際的組織だと言える。

フランスの文学・哲学のマニュアル小冊子

フランスの文学・哲学のマニュアル小冊子


留学して書店を巡って意外に思ったのだが、フランスには人文学系の廉価なマニュアル小冊子が充実していることだ。文学・哲学ならば、各作品の抜粋テクストと注釈、キーワードの説明や周辺知識の解説が百頁ほどの冊子にまとめられおり、とても簡便である。他にも、主題別に「19世紀フランス文学」とか「時間」「愛」「民主主義」といった冊子も存在する。例えば、『時間』ならばゼノンやアリストテレスからレヴィナス、ドゥルーズに至るまで、時間論の原典抜粋が収録され、「時間」についての解説とキーワード集、主要参考文献集が付されている。一冊せいぜい4-8ユーロ程度(約600-1000円)で、古書も格安で多数出回っている。

実はこれらのシリーズは大学入試(バカロレア)向けの試験マニュアル。あらかじめ告知される文学・哲学の出題作品や主題に関して手頃な冊子が刊行されてきたのだ。ただ、高校生向けの小冊子だからといってレベルが低いわけではない。受験問題の難易度がそもそも高いので、基本的な事実を抑えて、具体的な作品読解や主題の理解が深まる趣向になっている。

たしかに、日本にも新書などで一作品あるいは主題に関する解説書や入門書はある(フランスでも「クセジュ文庫」〔白水社より日本語訳あり〕がこうした類の出版物に相当する)。しかし、それらは著者による解説が主で、原文の抜粋や全文が掲載され、読者が原典と直接向き合うようにはなっていない。またシリーズ化がなされておらず、単発的だ。初心者向けの入門書でもなく、著者(その分野の専門家)による解説書でもなく、こうした原テクストを中心とした入門的注釈書は意外と重要ではないだろうか。

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Hatier出版社のProfil d'un œuvreシリーズ。一作品の抜粋と解説で、現在200作品ほど。青表紙の方はProfil pratiqueシリーズ。フランス語の練習帳で、留学中、古本で購入して何冊も解いた。http://www.profiletcie.com/index.php


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Nathan出版社のBalisesシリーズ。一作品の抜粋と解説。Hatier社やNathan社は教科書を数多く刊行している。右は哲学の一作品に関するLes Intégrales de Philoシリーズで、現在40作品ほど刊行。http://www.nathan.fr/

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Flammarion出版社(http://editions.flammarion.com/)のGF Corpus Philosophieシリーズ。「時間」「意識」「死」「正義」「情念」「神」「身体」……など、主題別の抜粋解説集。現在までに50冊ほど。

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Ellipses出版社(http://www.editions-ellipses.fr/)のPhilo-Notionsシリーズ。主題別に現在までに60冊ほど。Vocabulaire de...シリーズは有益な語彙集。ソクラテス、アリストテレスからデリダまで55冊ほどを刊行。

行動と斜傾 ― UTCPから、UTCPへ

行動と斜傾 ― UTCPから、UTCPへ


「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」では、企画準備の段階から参加し、2007年9月の創立時からは特任講師として勤務させていただいた。2年半の歳月、経歴と年齢でいうと、数々の翻訳書を出し、博士論文を単著として刊行した後、37歳から39歳までの期間だ。

2010年4月に首都大学東京に常勤ポストを得て就職してから、UTCPの事務所やイベントにはごく数回しか足を運んでいない。ただ、駒場キャンパスに足を踏み入れるたびに懐かしさが込み上げてくる。懸命に働き、学ぼうとしたからだと思う。自分のなかに、あの時期から止まっている時間がひとつがある。大学院に入った23歳からも何らかの時間が止まったままだが、こうしたアナクロニックな時間をいくつか抱えて生きることは貴重なことだ。

UTCPでは仕事や研究でいくつもの試練があったが、そのひとつは2008年10月のアルゼンチンへの出張だった。小林康夫氏と中島隆博氏との旅で、バリローチェの国際会議で日本思想、ブエノスアイレスの国立図書館で哲学的大学論の発表をそれぞれ英語とフランス語でおこなった。私の発表はいまひとつで、小林氏は旅の後半、とても苛立っていた。ある夕食の際には決意した様子で、「他人の思想を上手く整理するだけではダメ。結局、君は臆病すぎる。自分の思考で道を開いていかないとそれ以上伸びない」と厳しい表情で忠言された。翌月にはパリでやはり小林氏と国際会議を主催することになっていたが、「来月の発表はこの程度のレベルでは許さないから」とも釘を刺された。



翌11月の国際哲学コレージュでのフォーラム「哲学と教育」、12月の丸山眞男のセミナーでの発表は、後がないという気持ちで挽回を賭けた。その成否はともかくとして、パリでは、小林氏が「UTCPで私は西山さんを哲学の世界市民として養成しているんだ」と上機嫌で聴衆に公言したときには少し救われた気がした。小林氏の言葉の前後を引用しておこう。

「1990年代、『知の技法』などを編纂しながら、私は大学の新たな務めに思いを馳せていました。一国枠の市民ではなく、国際的な市民としての権利と責任を負う人間を育てるという大学の務めを。そのためには、ひとつの学問分野で自己完結してはいけない。当時私は「行動すること」の意義を何度も強調しました。いかに移動し、見聞し、批判し、対話するのか。大学はプロフェッショナルを養成する機関ですが、それ以上に、国際的に行動することを学ぶ場所でもあります。国民国家の枠のなかで、大学だけがこれほどの自由をもつ。この信念は今も変わっていません。この信念にもとづいて、私はUTCPを統括しています。」(2008年11月25日、UTCP国際フォーラム「哲学と教育」)



「卒業」して遠く離れてみて再確認するのだが、UTCPは実に高密度な人文学の研究教育拠点である。海外の研究者との交流の質と量はもちろん、若手が活躍できる機会を十分に与えている点は素晴らしい。科学技術政策研究所の調査によれば、ポストドクターの1年あたりの平均研究業績は、査読付論文1.6本、紀要論文等0.3本、学会発表3.4回。これは多産傾向の理系のポスドクも含めた数値なので、文系だけならもう少し控えめな数になるだろう。UTCPでは若手が十分な数の業績を上げており、しかも、英語などでの口頭発表や論文執筆も標準的になっている。UTCPは日本の大学院生およびポストドクターの理想的モデルのひとつを提供していると言える。

私自身はUTCPの企画段階から書類作成、事務仕事などに関わったことから、制度の問いに敏感になり、深い関心を抱くようになった。それは、自分が依って立つ大学や人文学の制度を今日、いかに構想して運営していくのか、という問いだ。実際、UTCPを終了した2010年度から、さっそく3つの制度での責任を負うことになった。

1つ目は、常勤職を得た首都大学東京。2年目の今年は、人文社会系の将来構想、独仏中の未修言語科目の改革、フランス語文化圏教室のカリキュラム改編の責を負っている。

2つ目は、日本学術会議に発足予定の「若手アカデミー」の活動準備。従来のアカデミーとは異なる若手によるアカデミーを創設する動きが世界的に起こっており、「グローバル・ヤング・アカデミー」という世界大会も毎年開催されている。日本でも2010年から準備が進められ、今年秋に発足する運びとなった。30-40代の若手中堅研究者によって、若手の研究環境やキャリアパス、研究者と社会との連携などにとり組む組織が創設される。

3つ目は、パリの国際哲学コレージュでのプログラム・ディレクター。2010-16年の期間、「哲学と大学」のプログラムでセミナーを開講し、雑誌特集の企画やシンポジウムなどもおこなう。現在、私がアジアからの唯一のメンバーなので、国際哲学コレージュと東アジアを連携する道筋をつけたい。



UTCPでの研究活動として現在も継続されているもののひとつに、映画「哲学への権利」の上映・討論会がある。ジャック・デリダの哲学的教育論を主題として、記録映画を編集したものだが、これほどまでに長丁場の活動になるとは思っていなかった。いつからか依頼に応じて上映会を開くようになり、国内外で55回ほどを重ねている。

その成果をまとめて本年2月にDVD付書籍『哲学への権利』を勁草書房から刊行させてもらったのだが、客観的に見て、非常に風変わりな作品だと思う。普通は作者が書いたテクストを読んで、研究者はテクストを書くけれども、私の場合は何重もの迂回をしている。まず、デリダが1983年に創設した研究教育制度「国際哲学コレージュ」とその制度的な実践が対象となる。次に、ミシェル・ドゥギーら関係者七人の言葉を集めて、ドキュメンタリー映画を製作した。そして、国内外でこの映画の巡回上映を続けて、異なる方々と討論をしてきた。そして、一連の討論会を踏まえて、自分のエッセイを加えて、書籍に仕上げたのだった。

研究者が行動することでいかなる効果が生み出されるのだろうか。研究方針を一変させるとは言わぬまでも、さまざまな場所でさまざまな人と出会うことで、研究活動にいくつもの微妙な斜傾運動が加えられる。私の場合は、映像と話し言葉と書き言葉をまとめ直し、監督と討論者と書き手という異なる立場を統合しながらDVD付の書物とした。小林氏が明言したように、UTCPが従来の人文学に行動の理念を付加したのだとすれば、テクスト分析や読解を直線軸としながらも、だが、その孤独な作業にさまざまな斜傾の力が加わるのである。UTCPから離れた私がいまなおUTCPへと立ち返っているように感じるのは、行動によって、自分の研究教育活動に予期せぬ方向への斜傾が加わっていると実感するときである。(2011年9月12日)

〔東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTC)のブログ記事より〕

人文学と就職活動――内定を獲得した一学生との対話から

人文学と就職活動――内定を獲得した一学生との対話から



ゼミに出席していた学生Iさんが内定を獲得し、来週内定式を迎えるので、都内のクスクス屋で祝宴を開いた。Iさんを支援し、私のゼミに出ていた不動産屋O社長も同席した。今夜は、就職活動や企業の経営論理から、大学の人文学のために学べるものはないかとむしろ聞き役に徹した。Iさんは数万人の希望者から内定10数名という魅力的な企業に選ばれたが、彼の確固たる語りから多くを学ぶことができた。



競争と平等――企業が利益をあげていくために、苛烈な成果主義がよいのか、それとも、平等性を保持したまま調和を重視する方がよいのか。競争と平等のバランスをどうとるのかは難しい。成果主義は人間関係をぎくしゃくさせ、過度の横並び主義は生ぬるい雰囲気をもたらす。要点は、一部の人間に絶対的な敗北感を抱かせないようにする配慮だろう。成果主義的な競争が効率を発揮するのは、成員間の格差を固定させず、全員に向上心を起こす余地を残すときである。この原理はとりわけ大学のゼミナールなどの教育活動にも当てはまる。私はゼミをひとつのチームとみなし、一学期を通じて全員共同で何かを成し遂げることを重要視している。そのためには、機会を平等に与えると同時に、適材適所の役割配置も必要となる。各人の長所短所は異なる。だから、学生が誰かの長所を見て自分の短所を伸ばすように適切な競争をうながす必要がある。

事業モデルの刷新――世相が刻一刻と変化し、技術革新が日進月歩の現代社会において、企業の事業モデルは十年ほどが有効限度だと言われている。中・長期的な視野でもって、事業を一新する大胆な勇気と構想力が不可欠だ。大学もまた中期目標・中期計画を策定して、六年ごとに理念とモデルを掲げる。ただ、こうした計画は周期的な義務であるがゆえに、以前の文章に微妙な修正を加えて上書きしたような形式的な刷新にとどまることもある。必要に応じて、大学教員が共同の意志で運営モデルを主体的に刷新するのは、いかにして可能だろうか。私見では二点、重要だと思う。「改革の主導者は他の成員を巻き込んでしまうくらいの勢いで、もっとも時間と労力を使って機敏に動くこと」「組織を動かすためには、成員との対話を尽して変革への土壌をならし、地平がスムーズに動くようにしておくこと」である。

人文学と就職――社会学でも心理学でも文学でも、サークル活動をするにせよ、留学するにせよ、重要なのは「何をなしたか」ではない。しかじかのことを「なぜ」「いかに」なしたか、である。学生生活のなかで自分がやってきたことの理由と方法を説得的に語ることこそが必要である。では、就職のために人文学は何の役に立つのか。人文学を学ぶことで得られるのは「読み書き能力」であり、ただそれだけでしかない。しかし、文章を読み書く力は、メール、企画書、報告書など企業活動に必要な一般的な技能である。また、日本語を複眼的に洗練させるためには、英語プラス他の外国語の経験は有効だろう。私自身、人文系の学生に「読み書き能力」を向上してもらうために尽力したいと思う。


(2010年2月、Iさんとパリ第8大学での上映に向かう)

実はIさんは首都大学東京ではなく、他大学の学生である。出会って2回目に「『哲学への権利』のフランス巡回上映について来る?」と誘って、即返を受けて実際に同行して以来の交流だ。大学とは、さまざまな学生と社会人が交流し、学び合うネットワーク的な拠点となりうるであり、私はこのことを今夜再び、十全に肯定した。(2011年10月1日)

シンポジウム「日本から見た68年5月」

シンポジウム「日本から見た68年5月」



2012年2月5日、京都大学にて人文研アカデミーシンポジウム「日本から見た68年5月」が開催された。第1部の対論では長崎浩、西川長夫が、第2部シンポジウムでは安丸良夫、上野千鶴子、伊藤公雄、中島一夫が登壇した(総合司会:市田良彦)。会場には予想をはるかに上回る350名以上が詰めかけた。




会場には幻の新聞「アクシオン」などが展示された。「アクシオン」紙はフランス全国学生連合(UNEF)などの学生組織の運動への支持を明記していた。正規の販売ルートをもたず、手渡しか郵送で販売されたこの新聞は一般学生からも幅広い支持を集め、5-6万部という脅威的な発行部数を誇っていた。「アクシオン」紙は1968年5月7日に発刊され、6頁から2頁ほどの紙面構成で週刊や日刊、不定期の形で発刊され、1969年6月2日の第46号をもって廃刊した。

第一部の対論で長崎氏は全共闘がパリの学生反乱と同時代的に進行していたことを回想。60年安保と比較して、全共闘運動では説得や伝達ではなく、個人の実存をぶつける語り方が登場した――「人生論による闘いの組織」――という。パリ68年革命の方も、政治的な党や組織による代弁や代表なしに、個々の「私」が革命を語り始めた最初の革命だった。

デカルトの国フランスでおこった5月革命では、「私」の過剰な歯止めのなさが運動の動力源だった。他方、東大全共闘では「自己否定」が叫ばれたが、果たして否定されるべき「自己」は確立されていただろうか。戦後の日本では、労働組合や農協、大学自治会といった階層への所属が各々の自己を保証していたが、60年代の高度経済成長は社会を流動化し、階層への帰属意識を希薄にした。「我々としての私」がその成立根拠を失った後で、日本の68年では革命運動の起点となるべき「私」もまた脆弱になっていたのではないか。


(市田良彦、西川長夫、長崎浩)

西川氏は、長崎氏のデカルト主義的発想への違和感を踏まえて慎重な口調で語り出す。パリ68年ではアプリオリに「私」が存在したのではなく、公的な発言を通じて「私」が形成された。煽動する主体/煽動される主体という区別さえ無効になった公共空間が出現したのであり、「アジテーター」という立場や呼称はなかった。署名のない匿名の落書き、無数のビラやポスター、次々と結成された行動委員会、直接民主的な仕方での公開討論など、自然発生的な運動のなかで「私」の輪郭が浮かび上がってきたのだ。たしかにフランスはデカルトの国だが、では、フランスにおいてデカルトはどこにいるのか。国家主義や合理主義のなかにデカルト主義の影響を見てとることができるかもしれないが、いずれにせよ、68年反乱はそうしたデカルト主義に抗する自発性の発露だった。

パリ5月革命は学生運動から生起しつつも、5月半ばには労働者との連帯へと進展していた。その社会的緊張を察知して、ド・ゴール大統領は総選挙実施を宣言して、革命に終止符が打たれた。「すべては神秘に始まり、政治に終わる」という表現通り、見事な政治劇が演じられたと言える。長崎氏は5月30日のド・ゴール派の70万人の大規模デモに対して、なぜ学生らはカウンター・デモを仕掛けなかったのか、と問うた。西川氏の応答によれば、たしかにパリ5月の運動は突如中断されたが、しかし、学生らのなかには「いつ終わってもおかしくはない」という雰囲気がすでにあったという。それはたんなる投槍なシニシズムや消極的な悲観主義ではなく、その日その日で運動を「続けよう」という意志の表われだった。フランスではバカンスに入ると政治運動は一旦休止(あるいは終止)するのが常であり、5月運動もまた、夏の訪れとともに急速に終息していくのだった。



後半のシンポジウムでは、上野千鶴子氏の批判的な発言がひときわ精彩を放っていたので、彼女の発言だけ記しておきたい。政治運動は熱を帯びていく高揚期は短く、むしろその後の退潮期の方が長い。熱が冷めていくなかでこそ、政治のさまざまな矛盾や暗部が噴出してくる。ある調査によれば、日本の全共闘は、学生の参加層2割、2割が反対、残りはノンポリの無関心層だった。この割合は都市と地方でも、大学別でも異なるだろう(当時の大学進学率は14%でそのうち女性は5%)。では、1968年世代は何をなしたのか、何をなさなかったのか。68年が高度経済成長期における反近代主義の運動だったとすれば、それは反近代家族の運動であるフェミニズムとも関係している。70年代のウーマンリブ運動は、新左翼の瓦礫のなかで、男性に裏切られ幻滅した女性によって誕生したのだ。政治と祝祭的な革命(非日常)という対立ではなく、「逃れられない日常こそが政治の場である」という発想の転換がなされたのである。68年が生活基盤の安定した学生と労働者の文化的闘争だったとすれば、新自由主義的社会のなかで生活基盤が掘り崩された現在の女性や若者の貧困のことをいかに考えればいいのか。

他にも、「フランスでは5月革命が現代思想の発展をうながしたが、日本では独自の思想形成がなされただろうか」「戦争経験が68年世代の若者にいかなる影響を与えたのか」といった論点が出た。

司会の市田氏による最後の言葉によれば、「すべては政治的である」とすれば、それと同時に、「とくに何かが政治的であるわけではない」。日常/非日常の区別さえ曖昧な現在において、「何かが政治的である」ことはいかなる意味をもつのか。その問いは「政治」概念の絶えざる刷新をも含むだろう。その意味で、「政治」の模索が続いている今日の日本の現状は、68年の状況と通底しているのではないか。