書評

郷原佳以『文学のミニマル・イメージ――モーリス・ブランショ論』


郷原佳以『文学のミニマル・イメージ――モーリス・ブランショ論』(左右社、2011年)





本書は、パリ第七大学に提出された博士論文をもとにした画期的なモーリス・ブランショ論である。顔のない作家・文芸批評家ブランショといえば、連想される鍵概念は「不在」「無為」「死」「非人称」「彷徨」「中性的なもの」といったものだろう。作家は諸事物が消え去っていくその不在の現われを記述するのであり、書くことの孤独に身を投じることで、もはや「私」という権能を失い、非人称的な「彼」として彷徨する。私が私自身の死に到達することがない中性的な位相にも等しく、文学とは無為(脱作品化)の空間である、というように。

こうしたブランショ独特の鍵概念とその強烈な文章表現からいかに距離をとればいいのかは、ブランショ論が発表され始めた1960年代からすでにブランショを論じる者にとっての試金石であり続けてきた。郷原の著作はまず、こうしたブランショ的な呪縛とは一線を画しているように見える「文学とイメージ」という主題を設定している点で異例である。ブランショの文学作品や文学論は、現実を視覚的地平のもとで模倣するようなあらゆる表象の機制とは縁を切っているようにみえるし、実際、イメージよりもエクリチュールの徹底化としてブランショの文学論は定式化されてきた。なるほど、ブランショには「遺骸的類似」という一種のイメージ論はあるが、それはブランショの文学論の各論として論じられるだけだった。郷原の著作は、「イメージをめぐる肯定の思考におけるブランショの重要性」(22頁)を説得的に論証することで、ブランショの文学の核心を描き出す正統な総論たりえている点で独創的である。「視覚的喚起力とは別の次元にありながら、にもかかわらず『イメージ』と呼ばれるしかないような何ものかをめぐる独特な思考」(13頁)がブランショのなかに見い出されるのである。ブランショを読む上での最低限のイメージが刷新されたと言っていい。

郷原が着目するのは40-50年代、とりわけ40年代後半から50年代前半のブランショである。これは、コジェーヴのヘーゲル講義とサルトルの文学論を背景に書かれた1948年のマニフェスト的論考「文学と死への権利」から、ハイデガー存在論をもとに〈死ぬことの不可能性〉を脱作品化=無為としての文学の実相に迫る1955年の決定的著作『文学空間』に至るまでの時期を含む。雑誌論考数編が単行書化されていなかったこともあって(昨年、論集La condition critique Articles 1945-1998, Gallimard, 2010として単行書化された)、ブランショの文学論の着想が、その文芸批評と虚構作品の執筆を通じて、この時期にいかに洗練されてきたのか、必ずしも総体的に明らかにされてはこなかった。『文学空間』に至る「文学者ブランショ」の生成過程が解明された点で、本書はブランショ研究にとっての大きな貢献である。

本書は二部構成で、第一部では主にマルローやサルトル、レヴィナスが参照されつつ、ブランショ独特の概念「遺骸的類似」の生成過程と思想史的な解明がなされる。第二部では、イメージと文学の関係へと議論はさらに移行し、ブランショにおける言語としてのイメージが「形象」――「顔」「形姿」「彫像」のみならず、「文彩」をも意味し、イメージよりも具体的な事物を指し示す――という視点から論じられる。主に物語『望みのときに』が複数の観点から読解され、文学言語における命名行為、詩的イメージ、供犠の意義が指摘される。

本書には従来のブランショ論を刷新するいくつもの発見と論証がなされている。第一部第一章2では、マルローの美術館論に寄せたブランショの書評から、美術館は作品の生を剥奪する墓廟であるとする「美術館病」(ブランショ)をめぐる議論が展開される。芸術作品は、その物質性ゆえに破壊されていく自らの未来時を先取りすることで、引き裂かれた現在時の隔たりにおいて、〈自己への類似〉として、自己同一性を欠いたまま自律する。こうしたアナクロニックな絶対的な隔たりによる作品の本質的孤独という主張こそが、ブランショの文学論の形成に寄与していることが指摘される。また、第二部第四章では、マラルメが提起した日常言語と文学言語の区別をもとにして、ブランショの言語論がヴァレリーやポーランの参照を通じて読み解かれる。ヴァレリーが区別したように、貨幣のように意味を交換し流通し理解させる日常言語に対して、文学言語は言語の物理性や感性性を洗練させるときに可能となるのか。いや、マラルメに忠実なブランショは、日常言語から遊離した純粋な文学言語などありえず、両者の混交と振動状態のうちにこそ、文学の「驚異すべき営為」――文学のミニマル・イメージ――を見てとるのである。ただし、本書は狭義のブランショ研究書にとどまるものではない。文学や哲学のみならず、芸術論、修辞論、詩論などの豊富な知見と参考文献をもとにして、絵画と文学、表象と現前、視覚と聴覚、イメージと言葉、自己と他者といった対立項が繊細に読み解かれる本書を通じて、読者はきわめて鮮やかな脱構築的読解を堪能することができるはずだ。

そして、もっとも驚かされる点で、とりわけ研究者にとって大切な点だが、本書で展開される的確な洞察と直観と論理が、あくまでもブランショのテクスト群の虚心坦懐な読みの誠実さに端を発することはくり返し強調されるべきだろう。「あとがき」(309頁)によれば、郷原がパリ第七大学の博士課程に進学した際に、指導教授のクリストフ・ビダン氏は「テーマを決めずにブランショのすべてのテクストを発表順に読み直すこと」を指示したという。通例であれば、大学院生は研究計画をもとに進学して研究を展開し、大学教員は詳細な研究指針と見通しのもとで科研費などを取得しながら成果を出す。そうした趨勢とは異なって、郷原はテーマなしの保留状態で「不安に苛まれつつも」、一年間、ブランショのテクストと向き合ったという。その誠実な読みの強度から生み出されたかくも豊饒なブランショ論は、文学研究に対する最低限の姿勢とはいかにあるべきかを私たちに教示している。

本書は最先端のブランショ研究書であり、きわめて高度な水準で議論が展開されるのだが、しかし、一般読者も「馴染みやすい」書物ではないだろうか。それは主題や問いの明確さ、論理の的確な流れはもちろん、文学の肯定性への最低限の姿勢が、ブランショに向き合った筆者の経験と文体から溢れ出ているからだろう。郷原は「文学の勝利」を宣言する革命家的身振りとは無縁だが、しかし、本書が発する「尽きることのない魅惑的な喜び」(190頁)から、「文学はけっして死に絶えることはない」という最低限の確信を私たちは抱くのである。(REPRE、No. 12、2011)

ジャン=リュック・ナンシー『限りある思考』


ジャン=リュック・ナンシー『限りある思考』(合田正人訳、法政大学出版局、2011年)






一九九〇年に刊行された本書は、八九年の歴史的な節目の後で、歴史や世界、国民、主体といった近代的な「意味」が根本的に衰弱し漂流し始めたという時代経験のなかで執筆された。こうした西洋的な意味が破綻するとともに、その思考もまた終焉を迎え、新たな配置を求めている。意味そのものが終わりうるという有限性を引き受ける思考を。完成や成就といった一切の目的論的で終局的な意味とは縁を切った、有限性の思考を。

ナンシーは思考の終末論的ニヒリズムに陥っているわけではない。逆に、そもそも有限な存在者(実存)が限界(誕生と死)へと自己を曝け出し、無限に触れる地点に即して、思考が継続させるのだ。例えば、バタイユの「供犠」をめぐって、有限な自己の否定によって無限な真理が固有化される限界が検討され、ハイデガーの「決断」をめぐって、有限な実存が自らを思考の開けとなす限界が検討される。確立され基礎づけられた意味の全体性を前提としないで、意味のそのつどの到来へと実存が己を曝け出すために、いかに「新たな超越論的感性論」を構想すればいいのか。ナンシーの筆致は、喪失や欠如へのノスタルジアを感じさせない前進性に満ちている。

ナンシーの見方は、「大きな物語が終わり、個々の実存の小さな物語が散在するだけだ」というポストモダン風の定式とは異なる。私たちは意味の限界の屈折に際しているのであり、「大きな物語」から最終的に解き放たれたわけではない。個々の実存による有限な思考は、十全な意味づけを欠いているがゆえに、歴史の出来事によってそのつど不意を突かれる過程にとどまるのだ。

ナンシーは大胆にも、「意味」「実存」「技術」「供犠」「決断」「愛」「崇高」といった、哲学的伝統の負荷を負った諸概念に楔を打ち込む。その堅固さゆえか、「意味とは自己への連関の開け=始まりである」「真の実存は犠牲にしえない」「思考は物々の心臓にある。ところがこの心臓は動かない」などと文章は断定的で硬質だ。この果敢さはナンシー哲学のスタイルの魅力で、かつて朋友デリダが「蠅取り紙に敢えて突進する蠅のような行為で、自分には真似できない」と当人に語ったほどだ。ただ同時に、バタイユ、ハイデガー、デリダのテクストが集中的に読解され、縦横無尽にさまざまな引用が散りばめられるナンシーの文章は精緻さと柔軟さも兼ね備えている。

ナンシー哲学の特質は、哲学的概念の岩盤の適切な地点を探り当て、異質な次元のあいだで亀裂を生じさせる点にある。もはや言語が通用しない亀裂を指し示す文章表現(エクリチュール)は、バタイユとランボーが主に参照されながら、「外記(excrit)」と表現される。

例えば、「愛」は欠如による欲望の成就でもなく、二者の情感的合一でもなく、経済と非経済の単純な対立を挫くとされる。愛は贈与と所有の対立を終わらせ、その裂け目とともに愛する者を構成し、その自己への回帰をもたらす。愛する者同士のあいだで愛は粉々に輝き、この分有によってこそ二者は惹かれ合う。

また、「意味」はフランス語sens(意味=感官)の二重性に即して再検討される。意味とは概念と指示対象が混じり合った絶対的な自己把持である。石の観念が外的現実の石と関係を結ぶときに意味が作用するように。他方で、意味には「感性的」な特質があり、意味を感覚する、感覚することを理解する、といった自己感情をともなう。知性的なものと感性的なものの解消されない区別において、「意味」が位置づけ直される。

une pensée finieは書名では「限りある思考」、本文中では「有限な思考」「終わる思考」と適宜訳し分けられているが、その必然性はさほど感じられなかった。本書には訳註は付されていないが、ナンシー独特の表現の訳し方や日本語訳書の該当箇所については、最低限の訳註を入れた方が読者には有益だっただろう。(『週刊読書人』2011年3月25日号・2882号)

ジャック・デリダ『境域』

ジャック・デリダ『境域』(若森栄樹訳、書肆心水、2010年)





『境域』はデリダが七〇年代に発表したモーリス・ブランショをめぐる文章群と彼への追悼文から構成されている。同じ時期にデリダは『撒種』『弔鐘』などの実験的な文章表現や構成を実践しており、『境域』もまたそのひとつである。

ブランショは文学と死の等根源的な位相を考察し、死の不可能性がもたらす軽やかな厚みとでも言いうるものを表現し続けたたぐい稀な作家である。彼の作品をデリダは敢えて接近不可能なものとみなす。接近不可能なものの遠ざかりそのものの魅惑の力によって、ブランショ作品における「思考の本質的運動」を描き出そうとするのだ。その文体や構成からして、本書はブランショ「論」ではない。ブランショのフィクションの引用とデリダの地の文が相互に陥入し、寄せては返す波打ち際のように、ある境界上の反復運動が記述される。

表題Paragesは同時に「船が航海できる海の領域」と「船が座礁させてしまう目に見えない境界」を示す。ブランショの両義的な表現を借りれば、それは「彼方への歩み」と「彼方なし」の閾である。本書では、遠さと近さ、呼びかけ、死、物語、ジャンル、法、語りの声といった主題群に即して、現前することのないこの決定不可能な境位が記述される。なかでも「おいで」という呼びかけはブランショの全作品を貫く運動性とされる。「おいで」は命令形でも現在形でもなく、こうした境域に差し向けられた初源の言葉である。「おいで」は「…とは何か」「それは…である」といった同一性の掟を頓挫させ、他者の到来に対する肯定を導く。それは同一性の円環に帰着する弁証法的循環ではなく、遠ざかりによって自己への接近をもたらすという、分割された往来の歩みである。「おいで」はその都度一回的で、永遠に反復される出来事の到来をもたらすのである。

死ぬことの不可能性に滞留し続けたブランショが実際に死去した時、いかなる言葉を彼に手向けるべきか。末尾に収録された追悼講演はまさにこの作家の死を表現することの困難さから始まる。火葬されたブランショの遺灰を想起しつつ、死という不可能性の可能性のアポリアがハイデガーのWalten(存在者と存在の差異を生み出す中性的な力)分析とともに記述されていく。評者はこの講演を聴講したが、議論の時間にデリダはブランショのなかにむしろ「ウィ、ウィ」という独特の歓喜を確認できるとした。単に愉快なだけではなく、奇妙な厳しさを孕んだ歓喜は『境域』からも伝わってくる独特の情動であろう。

本書の論考は当初、フランスとアメリカでのセミネールなどで披露され、英語圏の読者に向けて書かれたものもある。たんなる抽象的で実験的な文章実験ではなく、ブランショを論じるための教育的規範の探求が考慮されているのだ。この時期デリダは哲学教育をめぐる運動GREPH(グレフ)に参加しており、本書にも教育および大学制度への言及が見られる(二〇三頁など)。彼は哲学の文学的表現で戯れていたのではなく、制度に対する新たな責任を模索していたことがうかがえる。

訳者・若森氏はデリダのやはり難解な『絵葉書』(水声社)の訳業も成し遂げており、『境域』も適切な訳語と文体でその読みやすさは賞讃に価する。七〇年代のデリダ翻訳の範例的スタイルが確立されていると言ってもいい。「あとがき」で「デリダの文章は論理的」という確信が語られるが、これはデリダ読解の第一の重要な分岐点だろう。ただ、訳註は一四個と数が少ない割に冗長な説明も目につく。訳註はもっと数を増やし、日本語訳への参照も付した方が読者への教育的配慮は増しただろう。(ちなみに、三六三頁の英訳者名はアヴィタル・ロネル。)装丁は実に素晴らしく、本書の通奏低音をなすブランショ『謎の人トマ』の海のイメージを見事に喚起させる書物に仕上がっていることを付記しておきたい。(『週刊読書人』2010年10月8日号・2859号)

金友子編訳『歩きながら問う』

金友子編訳『歩きながら問う』(インパクト出版会、2009年)





1997年、高美淑(コ・ミスク)が就職先のない若手研究者たちとともに勉強部屋を開設し、後に、ソウル社会科学研究所(当時)を中心とする若手研究者たちが合流して、1999年、大衆に開かれた研究教育のための自律的な生活共同体「研究空間スユ+ノモ」が創設された(「ノモ」は「越える」という意味)。博士号を取得しても職がない「高学歴ワーキングプア」の状況は韓国でも深刻であり、彼らはそうした状況に見切りをつけ、生活と研究とが調和できる場所を自ら創造したのだ。本書はそうした〈スユ+ノモ〉の独創的な活動を十分に理解することのできる貴重な一書である。

〈スユ+ノモ〉は現在、ソウル中心にあるビル四階を一フロア借り切って運営されている。ここは理論探究がなされる研究所であり、数々の教育活動が実施される施設であり、そして、参加者の共同生活が重視されるコミューンである。実際、〈スユ+ノモ〉は講義室(兼ヨガ室および卓球室)、セミナー室、勉強部屋だけでなく、カフェや厨房+食堂、美術室、育児室、映像編集室、仮眠室などをも備えている。食堂やカフェでは当番制で、一食180円で食事が準備されることで、調理から後片付けまで共に食べることが重視される。彼らの基本理念は、一生、自分たちの愛する研究を続けることであり、そのために研究と生活の両方の困難を誰かと共有し、共に悩み続ける場が必要とされるのだ。

〈スユ+ノモ〉の約120万円の家賃は60名ほどの各運営会員による基金、講義や出版物の収入などによって賄われ運営されている。他方、この生活共同体の基本理念は「お互いへの贈りものとなること」であり、彼らはコミューンを贈与の概念から理解し実践しようとする。実際、〈スユ+ノモ〉にある椅子や机、書籍、レコード、玩具などは寄付であったり、廃棄予定の物資を引き取ったものだったりする。お互いへの贈与こそが諸個人の関係を接続し、共同体と共同体を接続するのだ。例えば、〈スユ+ノモ〉は農村コミューンと連携して、市場に出せない廃棄農作物の寄付を受け、そのお返しに農村の人々を講義に無料で招待したりしている。いやむしろ、私たちはつねにすでにどうしようもなく他者と接続してしまう存在なのであり、研究教育に基づく生活共同体はこの存在様態を基点としてこそ成立するのである。本書が研究者のみならず一般の人々にも訴える力をもつのは、見返りを当て込まない贈与を介して、無理のない形で他者と社会的に関係する可能性が魅力的に描き出されているからである。

〈スユ+ノモ〉の活動は新たな接続を求めて施設の外へと展開していく。新自由主義的な環境破壊に抗して、二週間歩きながら地域住民と共に思考するプログラムがおこなわれ、狂牛病の恐れのある米国産牛肉の輸入再開反対に端を発する大規模なデモの際には「路上の人文学」講義が街路で実施される。〈スユ+ノモ〉という研究教育アクティビズムはある崇高な理念に裏打ちされているようにみえるかもしれないが、だがそれはむしろ、研究を続けるためにはこうするしか仕方がないという現実主義的な選択と決断に基づくものである。彼らは既存の大学制度に抵抗して在野で奮闘しようと力んでいるわけではない。「他の人々と同じく、自分たちもまた生きていく工夫を模索しているだけだ」というのが彼らの基本的な声調である。〈スユ+ノモ〉に感じられるのは、困難な現実に即してコミューンを徐々に実現していくという、確かな生の感覚である。こうした生活と研究教育の豊かな結びつきによって、研究者の活動は大学か社会かという硬直した二分法や研究教育と経済的な論理との世知辛い関係が解きほぐされていく。〈スユ+ノモ〉のたぐい稀な活動を生き生きと伝える本書は、現実を批判的に思考しつつ誰かと共に生きるために模索する読者一般に勇気を与えてくれる一書である。(「オルタ」2009年3‐4月号)

ジャン=リュック・ナンシー『世界の創造 あるいは世界化』

ジャン=リュック・ナンシー『世界の創造 あるいは世界化』(大西雅一郎・松下彩子・吉田はるみ訳、現代企画室、2003年)





本書は哲学者ジャン=リュック・ナンシーが初めてグローバル化の現状を踏まえながら世界概念を論究した著作である。九九―二〇〇一年に執筆された彼のアクチャルな政治論考が、三人の訳者の的確な翻訳によっていち早く私たちの元に届けられたことに感謝したい。

ナンシーのいう「世界化(モンディアリザシオン)」は、ここ数年来新自由主義的な技術革新や経済発展とともに加速するグローバル化だけに限定されない。それは、より広義な意味で、ギリシアにおける哲学の誕生が刻印され、ユダヤ―キリスト的一神教を基にし、資本主義を起動・発展させた西洋の拡大過程そのもの、西洋の世界化のことである。資本主義の運動に関して言えば、その経済体制は剰余価値の過剰を自らの根拠としながら、投資・搾取・再投資の無限循環を繰り返し、資本蓄積を増大させ続けている。ヘーゲル的に「悪無限」と呼称しうるこの運動、自らを根拠づけ、自らの前に目的を設定し続ける自己再生産のプロセスに彼はグローバル化の実相をみる。

こうした技術的・経済的な含意の強い「世界化」を別様に思考するために、ナンシーは見たところ一神教の負荷を帯びた「世界の創造」を論究する。この場合、「世界」とは、神や真理といった超越的および外在的価値を欠いた、徹底して内在的な「この世界」のことである。世界全体を俯瞰する神は消え去り、存在神論の神は単一の世界像を表象することを止めた。いかなる所与ももたない有限なる存在者からなる「この世界」、すなわち「理由=根拠もなく、目的=終焉もないひとつの事実」であるような「この世界」が残された、というのが彼の見立てである。だとすれば、創造とは超越的な神の手による世界創造のことではなく、この世界が製作者・設計者も、あらゆる所与による根拠づけももたないためにその都度、無から創造され続けるという「われわれ実存者」の絶対的な事実性を意味する。「世界はある何かとして成長する無から創造される」。有限な実存者が根拠なき根拠たる無というものに触れることによって新たな世界の創造が開示される。ナンシーは世界を成長させ、創造するこの「現動化する無限」に資本主義とは異なる世界像を見い出すのである(この「無というもの」を考慮する点で「世界化」概念はネグリ+ハートの「帝国」と袂を分かつ)。

有限な実存者が自らの限界へと露呈され、隣接したその無限=無という何かを互いに分かち合う存在様態――これはナンシーがかねてから「分割=共有(パルタージュ)と呼んでいるものだが、本書における彼の理論的変節は、この思考実践がキリスト教的一神教の文脈へと批判的に接合され、さらにグローバル化の運動へと接続されている点にある。ちなみにナンシーは、本書が執筆されたのと同じ時期に、あるインタヴューで「共同的なものの存在論は直接的には政治的ではない」と自己批判している。そして実際、彼は近年、政治的なものの問いへの別の行論として美術やキリスト教の問題系に本格的に取り組んできた。本書でも、ナンシーは「分割=共有」概念をもとにして、いかにして「共同性=共同体(コミュノテ)は創造されるのか、いかにして共同性に正義が送り返されるのか、といったより多層的な問題設定をおこない、「共同体」と「政治的なもの」および「世界」についての理論的広がりを模索しているようにみえる。

「無からの創造」の分析はさらに、「至高性=主権」の問い直しと通底する。「その上に何ももたない者」である至高性とは絶対的な頂点、上昇の運動そのものである。上方と下方という区別さえ問題とならないこの「いと高き者」は、その高さに眩暈さえ感じながら、自分で自分をつねに根拠づけるしかないような自己関係である。だが、自己以外の何ものにも依存しない以上、バタイユが言うように「至高性とは無である」。至高性とは自己の自己に対する関係の間隙に介入するこの無のことであり、それゆえ、至高性は至高者に自己固有化されることなく、そこから逃れ去るのである。ナンシーは至高性の位相に取って代わるものを「民衆」という表現で仄めかして確答を留保しているが、現実的に、グローバル化の進展がアメリカという至高性の無際限なそれと合致する現在、至高性の(無)根拠を問い直すことは私たちにとって焦眉の問いである。

圧倒的な規模と速度で生生発展するグローバル化に一個人が抵抗することは難しい。だからこそ、この「共同体」の哲学者の著作のなかに、「もうひとつの世界を求める人々(アルテルモンディアリスト)」の実効的な連帯の可能性を見い出したいという思いに駆られもする。しかし、本書では、現下の世界状況に対抗する即効的な方途が縷説されているわけではなく、むしろ徹底して哲学的な調子で原理的な考察が進められる。かつて「主体の後に誰が来るのか?」と問題提起したことのあるナンシーである、その著作から現実的な抵抗「主体」を措定する契機を読み取とうとすることは筋違いであるし、彼のいう「分割=共有」は現実的なあらゆる主体の手前に位置するような存在様態である。だがそうであればこそ、彼の「分割=共有」概念を参照軸としつつ、グローバル化のなかで来るべき共同性を実践的に思考する務めは、まさしく私たちに課せられているのである。(『図書新聞』2004年2月21日号)